末路

ネットニュースをたまに見る。すべて読む気もないので、標題(見出し・ヘッドライン)を見て面白そうなものだけを読むようにしている。そこで気になる言葉がいくつかある。「号泣」については何度か書いた。

先ほど読んだ記事の「標題」にも気になる言葉があった。「末路」である。私が生きてきた中で、この言葉は否定的・悲観的な文脈で使われることがすべてだったと思う。「〜の末路」は、最終的に悲惨な運命に終わるという意味を込めて使われていたと思う。「わがままを言い続けた人の末路」と書かれていたら、わがままを言い続けた結果として周囲から嫌われたとか無視されるようになり寂しい人生を歩むことになったとか、その人にとって悲惨な結果に終わることを想像させるし、だから「どんな結果かな?」と興味を持って読み進めるわけである。しかし、先ほど読んだ記事は、表題に「末路」と書かれていたものの、結果はハッピーエンドであったので、すごく変な気持ちが残った。これは「末路」ではなく「単なる結果」ではないのか?である。

言葉は移ろいゆくものであるから、この使われ方が増えて市民権を得たら、将来的には単なる結果を示す言葉として「末路」が使われるようになるのかもしれない。それはそれで仕方ないのだが、私のように古い人間には気持ち悪いと感じられる。