シニフィアンとシニフィエ その8
「責任」という日本語は”responsibility”と英訳されるのだが、では、まったく同じ感情を指し示す言葉なのか?と問われれば、それは違う。日本語の文脈で使われる「責任」と最も近い状況を表現する英語を探したらresponsibilityになっただけ(そもそも両者の意味が近いとはあまり思えないのだが)である。”responsibility”は「反応・応答(response)」できる「能力(ability)」であるのだが、日本語の「責任」はもっと静的であり重い感覚が(私には)ある。実際に、とあるアメリカ映画のなかで、セリフでは”responsibility”とあった言葉が、日本語字幕には「任務」と訳されていることがあった。状況によっては日本語の「責任」がしっくりこない場合もあるということである。
日本語にある言葉を表現する英語が存在しない場合もある。これは「里山」の議論と同じである。こういう言葉は訳せないので、近い表現、あるいはまったく異なるのだが、近い状況で用いられる言葉に訳される。よく言われるのは、「頑張る」だ。この日本人の感情は英訳できない。だから、「頑張れ」は「ベストを尽くせ」と訳されたりする。マーク=ピーターセンなんかは「悔しい」という感覚がわからなかったという。このように、それと同じ感情や価値観を世界中の人が持っているという錯覚から、特に感情を表す言葉なんかは理解されにくい。どうしても、我々が感じていることは世界中すべての人も同様に感じていると誤解してしまう。
(つづきます)