能力
「才能」と「才能を発揮させる能力」がある。両者は別物だ。後者は「努力できる能力」と言い換えても良い。だから、「俺もやったらできる」と言っている時点で、「やれていない」のだから「できない」のである。予備校か塾かなにかのCMで「やる気スイッチ」なる言葉が使われていたが、これは「才能を発揮させる能力」の話だろうと思う。「勉強したらできる」は事実だろう。でも、その「勉強する」ことができる能力がなければ勉強できない。たまに気が向いて少しやったら友人よりも理解がはやいとしても、それが続かなければ地道に努力する人より上には行かない。「継続は力なり」である。「一暴十寒」である。
これは古くから多くの(すべての)人が気づいている。「お前なんかに言われる必要はない」のだと思う。ではなぜ、これほど自明のことを書いたのか。言葉は悪いかもしれないが、本当に理解する力のない人に教えるのはかなり難しいというか、不可能に近いことだろうと思うのだが、「できない生徒」の多くは、「やればできる」のだろうと思うのだ。そして、そこを伸ばすことができるかどうかが教育の一つの技術なのではないかと感じる。
教育に興味があるとこの欄でも何度か書いている。大上段に構えるつもりもなく、高尚な話をするつもりもない。「科学者に必要な能力は何か?」と尋ねられた時に私がいうのは「好奇心を持っていること」である。天才の話はわからない。好奇心がなくても、遊び気分ですごいことを成し遂げることができる天才はいるのだろうが、私が話しているのはそういう「天才」ではなく、私のような「凡人」のことである。好奇心がある、面白いと思える、だから楽しく毎日のめり込んで研究ができる。あらゆる車両の名前や細かいダイヤ、あるいは鉄道の規則などに長けている鉄道オタクなどとまったく変わらない。あれだけの知識を習得するのは普通に考えたら並大抵の努力ではないはずだ。これを勉強として暗記することを強いられたら苦痛以外の何ものでもない。学校の勉強ができない鉄道オタクの生徒の興味を何とかして学問の方にもっていければ、その子の学力は飛躍的に上がると思うし、この話はほとんどすべての生徒に当てはまると思う。私は科学者なので「理科の面白さ」を伝えたいし共感してもらいたい。そのために何ができるのか?いろいろと試してみたいことはある。