正義感
部活動で部員の誰かが問題を起こした時、連帯責任を認めるのかどうかは人によって考え方は違うと思う。私はある程度「連帯責任」は許容する価値観を持っているように思うが、でも状況によっては連帯責任は認めない。非常に危うい個人の価値観なので具体的には表現しにくいのだが、例えば部活動の伝統として、部をあげて暴力行為を容認しているとすれば、たとえ暴力に加担していない生徒がいても「連帯責任」は私の中では成り立つと思うのだが、一部の生徒が、それがたとえ部のリーダークラスの生徒であっても、法や規則に触れる行為を行なっていた場合に「連帯責任」を他の全員に負わせるのは酷いと感じる。ただ、こんな両極端の例は少なくて、この中間の場合にどこで線を引くのかも人によってさまざまだろう。だから、己の正義感が一般的にも通用するとは思っていない。「自分はこう思う」「私ならこう考える」は良いと思うが、「これはこうすべきである」は問題がある。強いて言えば法に触れる行為は絶対にダメだと言えるとは思うでは法に触れなければ何をしてもいいかと言われれば。もっと「高い道徳感」で判断すべきものだろうとも思っている。「法は最低限の道徳」だからである。ただ、この「高い道徳感」も人によって異なる。
結局のところ、正義はその人の価値観によって成り立つものだから「絶対的な正義」なんて存在し得ない。宗教が違えば正義感は異なるだろう。それが原因で殺し合いも起こっている。己の正義を絶対だと信じるところに残酷さが生じる。正義感を振り翳した瞬間に人としての優しさがなくなる。そう感じてしまう。