カンニングペーパーを採点すると

定期試験でカンニングペーパーを作らせてみるのはレポートを提出させるよりもはるかに効果的だと思います。生徒に試験問題を作ってもらうのも、下手な授業や試験をするよりもよほど「主体的」な学習になるでしょうし、良問を丸暗記することは利点しかないと考えています。知識を問うのをやめて意味を問うことが求められる時が来ていると思います。

ここで言いたいことは、カンニングペーパーを解析(?)することです。勉強のできる生徒は単に頭が良いというのではなく要領がいいのだと思います。同じ時間をかけて勉強しても要領が悪ければ何も得ることなく終わるでしょうが、要領のいい子なら勉強した時間に見合う収穫があるはずです。これは頭の良し悪しというよりも、学習の方法論というか、そこにあるものをどのように捉えるかという技術論に近いものだと感じるのです。そして、その技術がカンニングペーパーの中に見て取れないかと思うわけです。

ただただ教科書や参考書を丸写ししたカンニングペーパーでは問題は解けません。しかし、要点ごとにまとまったカンニングペーパーであれば試験問題を解くのに有効でしょう。というか、そういうカンニングペーパーを作っている段階で、その出題範囲の内容はだいたい理解できていると考えられます。もしこの考え方が正しければ、カンニングペーパを解析することでその子の弱点がわかるのではないかと思うのです。もっと言えば、カンニングペーパーの作り方(まとめ方)をいくつかのパターンに分類できるのではないかとも思っています。さらには、勉強ができる子(できない子)のカンニングペーパーを解析することによって上手な教え方を見出せるかもしれないと思います。

橋本は「構造論」という考え方を元においています。「個」はア・プリオリに存在することはできず、「意味」とは「個」同士の関係性(分脈)においてのみ成立するというものです。だから、単語を覚えることに意味はないし、単語を問う試験にも意味がないと思っています。とはいうものの、実際の入試に単語が問われるのであれば覚えるしかありません。でも、それは試験の直前に詰め込めばいいだけのことで、その単語を詰め込むための下地を日頃の授業で作ることが重要だと思っているのです。要は、いかにして「個」と「個」の関係性を見出すかということを理解すれば、単語は自ずから頭に入ってくると思っています。関係性(意味)を理解することなくひたすらに単語を覚えるというやり方はまったく非効率であり時間の無駄遣いのように感じます。そして、この「関係性」は突然頭の中に形成されます。一度形成されたらもう忘れません。この「関係性」を作る技術というかコツみたいなものを習得するために、カンニングペーパーを作ってみることに意味があると思っています。もちろん机上の空論なので、「そんな簡単に物事は動かないよ」と言われればそれまでなのですが、まずはこの「机上の空論」を叩き台にして動かしてみたら何かが見えてくるかもしれないなと思います。どうでしょう???