論文を書くこととは

橋本の原腸形成の実験をご存知の方はご理解いただけると思いますが、それこそ世界中のどこでも、なんだったら高校の理科室でもできる実験をしているつもりですし、誰もが思いつく実験方法を使って新しい結果を見出したと思っています。橋本は、言いたいことはこの実験で全て言えていると思っていましたし、今でも思っています。でも、たとえばナイル青とか中性赤などの生体染色をする色素ではなく、最先端の技術、例えば蛍光染色とか遺伝子組み換えを使わないと良い雑誌には論文が掲載されません。そういう話を偉い先生からもされますが、では「蛍光とナイル青の何が違うのですか?」と問いかけても明確なお答えは頂戴できません。やっていることは同じだからだと思います。「感度とかの違いはわかっていますが、この論文で言いたいことはこれで十分じゃないか」と話すと、「まあそれはそうだけど・・・」と面倒臭がられます。で、普通なら良い論文(良い論文とは、世間的に認められた「良い雑誌」に掲載される論文を指します)にするために、みなさんがいうところの最先端の実験をするべきなのでしょうが、そこで若い頃から持っている偏屈な性格が災いして、いまの論文を掲載してくれる雑誌に送るのです。だから、論文の中身が世界的にまったく認識されることなく時間だけが流れるということになります。だって、序列の低い雑誌に載った論文はなかなか読まれることはないのですから。

これらの論文を「いい雑誌」に投稿した時共通して経験したことは、まずは「門前払い」です。論文の審査にさえ回してもらえません。丁寧な英語で「素晴らしい論文であるが、私たちの雑誌は一般的に興味のある論文を掲載するので、あなたの論文は少々専門性が高く我々の雑誌には向かない。専門誌に送ることをお勧めする」と返ってきます。門前払いの時の決まり文句です。まあこれは仕方ありません。次が、門前払いを回避して運良く審査に回った時です。一般に2〜3名の覆面審査員が投稿された論文に目を通します。そして、問題点を逐一洗い出してきます。「ここがおかしい、あそこがダメだ」「この写真は撮り直せ」「この実験では不純文だ」うんぬんカンヌン。一般には、言いがかりと思えるようなものも少なくありませんが、それでも一応は論理的に「言いがかり」をつけてきます。しかし、原腸形成の論文だけは、とにかく審査員からのコメントにに論理がありません。審査員のコメントを読んだ素直な感想を言えば、「ああ、あなたは私のことが嫌いなのね」です。橋本個人のことというよりは橋本が送った論文が気に入らないという感情的なコメントが返ってきます。こういうのに対してどのような返事を送り返せば良いのかまったくわかりません。屁理屈であっても論理があれば、それに対してこちらも論理で返答できます。でも「過去に美しい実験がたくさん出ているのに、お前はそれを否定するのか!」と言われても困ります。それを否定するような実験結果が出たのだから仕方ありません。文句があるなら、「お前の実験はここがこうおかしい」と言えば良いのに。でも腹が立つのでしょう。橋本が、橋本だけでなく普通の人が科学に対して思っている感覚そのものを根底からひっくり返すようなコメントをもらってもどうすることもできません。それから、ひどい時は審査員から無視の状態が続いたこともありました。審査員が誰かわかりませんので、返事が遅い時には編集者に連絡します。すると「審査員の一人から返事が返ってこない」と言われました。結局、その雑誌が平均的に1ヶ月で返事を返してくるとしたら2ヶ月以上かかって、それも論理なしの感情的なコメントが返ってきました。もう一つひどい例をあげておきます。橋本は7年前に提示した新しいモデルを前提に次の実験をして論文を書きました。モデル自体は7年前にできる限りの実験をして公開されたものです。そして次の実験に対して、そもそものモデルを成否に関するコメントが審査員から寄せられます。これは実は反則で、いま目の前にある論文の内容だけの震災をしてもらえなければおかしいのです。だって、新しい論文の審査をするのに、その研究者が何年も前に書いた論文の中身に身関する質問が許されたらもうカオスですよ。だからこれには「ルール違反です」と返信したら、その後は何もなしにすっと論文が通りました。

以前、ある大学の先生と話していた時のこと、その先生は良い雑誌に論文を通すためには審査員の言うとおりに直すとおっしゃいました。自分たちの主張を曲げてでも審査員の言うとおりにするらしいです。論文とは、極論すれば世界中の研究者の中のたった2人または3人を納得させられれば良いだけの話ですから、その人たちの言うことを素直に聞けば良いと言うことです。潔いと言うかなんと言うか。それができていたらもう少し偉くなっていたのかもしれませんが、それができませんでした。こういう性格は、生来のものも素養としてあるのでしょうが、やはり「血気盛んな」若い頃に受けた影響が橋本独自のフィルターを通すことで悪い方に出たのだろうと思います。