なぜ橋下維新は失速したのか?

標記は、電車の吊り広告に書かれていた週刊誌の文句である。

この記事を読んでいないので記事に関しての論評はできない。

私は、この質問自体が的をはずれているように思う。

失速というのではなく、

そもそも議会制民主主義の元では質的に橋下維新が伸びるのは無理だったと思うからだ。

みんなの党との連携や石原新党との連携のミスなどは枝葉末節で、

一部に「選挙を知らない坊や」との発言も聞こえてくるが、

旧来の(従来の)選挙を否定したところに橋下維新はあるのだろうから、

この意見は「何をいまさら」だ。

従来の作戦(ドブ板とか)である程度の票の伸びはあったかも知れないが、

それは本質ではないということ。

これに関しては以前に議論した(https://hashimochi.com/archives/5942)が、

要するに議会制民主主義と大統領制の違い、

真逆の方向性による必然だったのではないかということだ。

橋下さんの魅力、あるいは彼に対する期待は、彼の実行力に尽きると思う。

それは彼個人に帰属するものであろう。

この彼個人への期待感を「民意」としてバックにつけ政治活動を推し進めたということで、

これまでのように労働組合の支援を受けた市長であれば、

いかにきれいなことを言っても組合の意向に逆らうことはできないわけだが、

橋下さんは組合と真っ向から対立できたし、その姿勢が更なる後押しを得る源になった。

これこそ本質的な民主主義のようにすら思えるような、

役人と民意との大戦(おおいくさ)の旗手になり得たのだろう。

当初、橋下さんと意見を違えていた地方議会議員も、

その対立が鮮明化することで民意を敵に回すことに気付いたから、

橋下さんのやることに面と向かって逆らえなくなった。

この反動が、議論を「ポピュリズム批判」へと向かわせていったわけで、

真正面から闘うことをやめ、搦め手から闘う・・・違うな、闘っていない、

質の異なる議論を吹っかけて民意を橋下さん批判に誘導しようとした。

しかし、そんなあざといことには市民は騙されないから、

結果として橋下さんの勢いはつくし、その勢いの元で改革は着々と進んでいく。

言い方は間違っているかもしれないが、

まあ上から下へのベクトルでの改革で、その一番上の意見は大多数の民意であるという感じだろう。

しかし、議会制民主主義では方向が正反対になる。

民意(の一部)を議員に渡し、その議員からトップを選ぶという段階を経るのだから、

トップを直接選ぶことができないのは当然だが、

それ以前に直接選ぶ議員の質の問題が生じる。

特に、小泉チルドレンを初めとした

近年のぽっと出の政治家の質の低さに嫌気をさしていたという「アレルギー」が我々にはある。

そういう,玉石混淆の新人を選ぶというところに高いハードルがあるように感じるのだ。

大統領制を上から下への方向としたら、議会制民主主義は下から上への方向である。

橋下さんの行動力に対する期待は、少なくとも大阪辺りでは薄まっていないと思う。

しかし、首相公選制でもしない限り、維新の波は来ないだろうと思うのは間違った見方ではないと感じる。

あるいは、村山内閣誕生のおりのように、連立で橋下さんをかつぐような体制ができない限りは。

橋下維新は国会において成功しない理由は、

選挙戦略以前の選挙制度にその根本的理由があると私は思うのだ。