橋下市長と維新の会
橋下市長を応援する(していた)人たちはもどかしい思いをしているだろう。
あるいはジレンマに近い感情を抱いているのではないだろうか?
私見だが、橋下氏に期待するものはその行動力である。
単に行動力という獏たるものではなく、
知事時代に、あるいは現在の市長としての「政権」運営において、
おそらく彼以外の誰もが弊害は認識し、
変えねばならぬと選挙で訴え続けたにも関わらずいっさい手を出せなかったことを、
いかに大きな敵がいようとも意に介することなく
次々となし続けてきた、そして現在もなおなし続けているその具体的な行動力である。
行動力というよりも実行力という方が適切かもしれない。
年金が、税金が、医療が、ありとあらゆるものが官によってねじ曲げられているといわれる。
そして、それを是正しなくてはならないというのは国民の総意だろう。
それを掲げて3年前に政権は変わった。
そしてこのていたらくである。
だから、首相がどのような演説をしようが、
民主党がどのような公約を出そうが、
耳に虚しく響くだけだし、演説で「嘘つき」呼ばわりされるということだ。
ちょっと男前の民主党のホープが盛んに議論をしている。
野党、特に自民党と真面目な顔でやり合っている。
言っていることの是非はそれぞれが判断するしかないのだが、
その前提として、いかに正しいことを言おうがその説得力のなさにより、
男前が理路整然(のように聞こえる)と話す絵が滑稽に見えるのだ。
そしてわたしが思うのはこの対比としての橋下氏の存在だろうということだ。
それこそ橋下氏を総理大臣に据えて役人と喧嘩をさせてみたいと思う人は多いだろう。
そして、これまでの誰もができなかったことがやれるのではないか?
山が動くのではないのか?という期待感が少なくとも他の政治家に対するよりは大きい。
この点が橋下氏の人気を下支えしている大きなものだろうと思うのだ。
で、冒頭に書いたジレンマである。
橋下氏の行動力に期待し、逆に言えばそれ以外には期待せずに、
とにかく橋下氏に行動してもらうための基盤を作るという目的のために
泡沫(とあえて書かせていただく)候補に投票するかどうかだ。
これは、○○チルドレンという存在に辟易としている国民には
究極の選択とも言えるくらいの大きなジレンマだろう。
極論すれば、リーダー欠如の中のリーダーとしての期待とは、
これまでのリーダーのふがいなさに対する反感の様なものだろう。
対して、これまでの泡沫チルドレンへの反感から安易な投票への不安も共存する。
そしてこの両者は両極に位置するとも言えるくらいに
その選択に厳しいものがあるというのがわたしの感じるところなのだ。
もちろん、こんな短絡的な議論ですべてを話せるとは思えない。
ご理解いただけると思うが、この議論の前提にはわたしの偏った意見が存在する。
それは何度も書いていることだが、民主的行動が必ずしも正しいと思わないということである。
民主主義とはあくまでも最悪を回避する「次善」の方法論であると考えるのだ。
だから、優れた指導者がいる場合には独裁に見えるやり方を全面的に支持する。
この考えには根本から反対の方も多くいらっしゃる。
そして、その方々の意見を否定するつもりなど毛頭ない。
だから橋下氏を否定する意見の大きなものに「独裁的だ」というのがあるのだろう。
でも、彼から独裁性を除いたら何が残るのだろう?
それこそが彼の唯一最大の魅力なのではないのか?
まあいいや。
で、一定条件下での独裁制を許容する価値観をわたしは持っているのだが、
これまではその独裁的権力を渡したい人がいなかった。
そして、橋下氏はそれをもっても構わないと市民に思わせる何かがあるのかもしれない。
それが彼がここまで支持される大きな理由なのだろうと思う。
問題は、その人に実権を渡すためにチルドレンを作るか否かであろう。
これは本当に難しい問題だ。
だからこその「首相公選制」を維新の会は主張したのだろう。
それは、様々な問題はあるかもしれないが、
ひとつの解決策としての魅力は感じる。
まあ、そういう現時点では実現不能なことはおいといて、
いまは議院内閣制であるから国会議員を選ぶより他に手はない。
最終的に国民はどのような決断を下すのだろう?
結果を見るのが楽しみである。
なんか他人事のような書き方ですが、もちろん投票には行きますよ。