コビトカバの問題

で、先日書いたコビトカバの問題https://hashimochi.com/archives/4948ですが

これが実はかなり根が深い。

 

科学番組や科学記事などでは、たとえば目玉のような紋様の擬態に関しても、

「目玉のように見せて捕食者を恐れさせる」とかなんかそんなことが言われます。

赤とんぼが、暑い日差しの中でお尻を上げて体の軸を太陽に向けることを指して、

太陽光の熱を避けるために太陽光線と平行になるようにして、

光線を直接受ける面積を最小にしていると説明しています。

 

でも、これだと生物学が否定してきた定向進化の説明になりますよね。

そうするために進化してきたということで、

キリンの首は高いものに届きたいから伸びたってことでしょう。

で、この考え方は否定されているわけですから、

生きものが持つ形や働きの説明としてはならないでしょう。

 

擬態にしても、たまたま葉っぱに似せたら補食されずに子孫が残ったと考えるべきで、

進化的には有利な変異と解釈されるものです。

残暑の熱光線を全身で浴びていた赤とんぼは生き残れなかった、

逆に熱を避ける工夫をたまたましたとんぼは生き残ったと理解されなければならないはずです。

なのになぜ、この手の説明がいまだになくならないのでしょう?

 

実は、生物の専門家であるはずの私たち研究館の展示にも

ここまでひどいことはないかも知れませんが、

これに近い説明がいくつか見られるような気がします。

要は、生きものの意志で進化したような記載(説明)です。

お越しになった時に探索されてはいかがでしょうか?

ただ、さすがに館長を始めとして誰一人この学問的な問題を知らないわけはありません。

問題は、人はどうしても恣意的に考える傾向があるということで、

それとの折り合いを説明の中でどう付けるのかってところなんでしょう。

その辺りの苦労を見るのも一つの楽しみかも知れません。