コビトカバの子が鳴かない理由
標記の記事をネットで見かけた。
動物園で飼育しているコビトカバの子供は鳴かないそうで、
なぜなのだろうかと調べるうちに以下の試料を見つけたそうです。
「野生のコビトカバは木のウロや他の動物が放棄した巣穴を利用して子育てをし、
親は巣穴に子を残して採食に出かけるらしい、
(中略)つまり、巣穴に残された子は鳴きわめいていると保護者のいない状況で
捕食者・天敵に見つかりやすい状況を作りだしてしまいます。
そのリスクを回避するには、ひたすらじっと静かに親の帰りを待つのが安全なわけです。」
さて、この記事のような考え方が生物の学問的な理解を誤らせていると言えます。
誤っているとは、この理解が絶対に真実ではない!と主張するものではなく、
現在の学問的な説明はこうではないということです。
すなわち、生きものの行動やかたちなどが目的を持って発達することはなく、
あくまでも偶然に発達(進化)した中で、
その新しい形や働きがそれ以外の理由によって残るか排除されるか決まるということです。
まあ、冷静に考えれば、コビトカバの子供が泣き叫んでいたら
この飼育員が言うようにおそらく捕食者に食べられたりして子孫を残せないでしょうから、
結果としてはその種は絶滅するということとなります。
逆に言えば、鳴かなかったものだけが生存できたという「淘汰圧」がかかったわけです。
補食されないために鳴かないようになったのではなく、
鳴かなかったから結果として補食されなかったに過ぎないということです。
ある神社の参道で同種の雑草の中で背の高いものは少なく背の低いものが多いとしましょう。
その直接的な理由として、背の高いものは目につき易くすぐに抜かれてしまうけど、
背の低いものは抜かれにくいからという理由を仮定した場合に、
「抜かれないために背が低くなる方向に進化した」と考えるのではなく、
「背が高い方が抜かれ易く、結果として淘汰された」と考えるのです。
現存する生きものがある行動をすると言う理由は
すなわち「生き残るためにそう進化した」という「合目的」的なものではなく、
「そう進化したものがたまたま生き残った」と考えるのです。
だから、意味があるから残ってきたと考えず、
残ってきたからには何か意味がある(あった)と考えると言うことです。
どうもこの考え方が、生物学の研究者にも普及していないように思えます。
これが絶対的に正しいとはいいませんが、
いまの学問としてこう説明しているのだったら、
その論理をしっかりと教える必要があるのは当然だと思うのですが・・・。