広告の文章

全くもって己を棚の上にあげた上に新聞紙をかけて隠したような物言いをするが、

なにとぞお許しいただきたい。

 

通勤にJRを利用している。

その途中に、当然のことながらJRの広告を目にすることも多い。

で、むちゃくちゃに気になる時が頻繁にある。

それは、そこに書かれている日本語である。

 

たとえば、かなり以前のことになるが電光掲示板に

「〜〜詳しくはネットで○○で検索」とあった。

普通は人様に見て頂く文章に「〜で〜で」とは続けない。

この場合だったら少なくとも「ネットで○○を検索」とするだろうし、

他の言い回しに変えることも考える。

また最近では「傷など修繕が必要な箇所がないかなどを・・・」

あるいは「車と人による検査により確認」などとある。

また「など・・・など」や「〜による〜により」と表現が重複する。

特に前者の場合には、「ないか」にかかる文言の「傷など」と「修繕が必要な箇所」で、

短い方の「傷など」が前に来ていることも気になってしまう。

https://hashimochi.com/archives/1910

 

で、単にこれは個人の好みの違いだろうか?

もちろん、突き詰めれば文章の好き嫌いは存在する。

だから、そのレベルの話をするのは言いがかりとなるだろう。

しかし、例示したような日本語は好き嫌い以前の問題だろうと思う。

日本語の表現として間違えているとはいわないが、

表現が重複する日本語は、かなりの悪文であることに異論はないと思う。

 

ここで、何を言いたいかなのだが、

結果として下手な日本語になることはあるかもしれない。

そして、それを糾弾しようなどとは夢にも思わない。

ただ、これはJR西日本という会社の体質を表しているのではないかと感じるのだ。

だって、客の目に触れる文章を出すのに、ただ一人の社員の作文で済むとは思えない。

やはり、複数の人や部署からのさまざまな検閲や校正をへているだろう。

もしそれすらしていないと言うのであれば

もはや企業としての体をなしていない。

個人商店で、そこのオヤジがチラシに宣伝文句を書き連ねることと同じだろう。

いや、個人商店だって読む人のことを考えて作文するはずだ。

 

で、JR西日本ほどの大企業がこんな日本語を客の目に触れる場所へと出すことに、

「まあ、こんな程度でいいだろう」という体質が透けて見えるように思えるのだ。

「お客様に見て頂くもの」という企業としての責任感がまったく見えない。

人様の目に触れるところに自分の文章が掲載される時には

高い緊張感をもって作文をするし、それを第三者に添削もしてもらうだろう。

それが商売人としての誠実さだろうと思う。

電車の中に掲載される文章として大企業がこの程度のもので大丈夫だと思っている

そのこころの持ちようが不思議でならないのである。

大きな企業になればなるほどその社会的責任は増すだろうし、

その態度は常日頃から周囲に見られているという緊張感が必要だろうと思う。

その緊張感が見られず、

むしろ「こんな程度」と客の値踏みをしているように感じられるのだ。

 

誤解のないようにお願いしたいのだが、

もちろん、JR西日本が客を軽視していると本当に思っているわけではない。

また、こんなことに目くじらを立てているわけではないし、

特に感情を害しているという訳でもなく被害を受けた訳でもない。

というか、実際にJR西日本が客のことをどう思っているのかについては

ここで問題にはしていない。

では何が言いたいのかだが、ただただ、すごく「不思議」なのだ。

上に書いたように客から思われる可能性を会社として考えないのだろうか?

このあたりに危機管理能力のなさが垣間見えてならないという訳である。

 

まあ、お前は他人のことをとやかく言えるような文章を書いているのか?

と問われれば黙るしかないのだが、

でも、個人の日記のようなコラムと、

企業が客を対象として書いた宣伝や広告とを同列に扱うものではないと思ってしまう。

私自身のこの態度も甘いのかな?