毒物・劇物・放射線
以前の本欄(https://hashimochi.com/archives/3541)に
「放射線障害は分裂中の細胞にのみ起こる」と書いた。
それが少々誤解されているようなので蛇足を承知で少し書く。
まず、放射線障害というものは細胞内にラジカルを生じさせるという意味しかない。
したがって、過度のラジカルが発生すれば分裂の有無にかかわらず細胞には障害が起こる。
まあ、大きな見方をすれば火傷みたいなものだと考えてもらえればいいかもしれない。
で、火傷はまあ仕方がないとの立場で書いたのが先の文章である。
火傷はとにかくその細胞や組織は損傷を受けるがそれだけのことだ。
それを重大視する人もあろうが、私は大したことはないとの立場を取っている。
で、問題は発生したラジカルは細胞内の生体分子に損傷を与えるのだが、
その障害は遺伝子の化学的正体でもあるDNAにも起きる。
そして、分裂能を有する細胞のDNAに損傷が起こると
それは突然変異となりガン化する可能性があるのだ。
これが分裂能を有しない細胞だと、その細胞が死ぬだけで終わる。
この差をして、「分裂中の細胞にだけ放射線の影響がある」と言った。
ただそれだけのことである。
これについて知りたい方は壮絶な記録が出版されているのでご一読いただきたい。
書名は「朽ちていった命」(新潮文庫)である。
さて私は、その場で済む傷害については仕方ないと思っている。
それがその後何年にも渡って人体に影響を与えるとか、
あるいは即効的な致命傷ではないが治療方法がないとかが恐ろしいのだ。
だから、生体の働きによって除去されうる毒物は、
極論だが、致死量を摂取しない限りは怖くない。
しかし、体内から除去できず、蓄積的に影響を与える毒物などは恐ろしい。
放射線もDNAに傷が刻まれる訳だから蓄積的な効果がある。
だから、ガンが発生する確率は被爆線量に比例して上がる。
その意味において恐ろしい。
で、大きなくくりで私が何を恐れているのかといえば、
日常的に見るとそれはウイルスも含めての生物である。
寄生虫などは本当に恐ろしいと思うし、
感染症としてのウイルスなども怖い。
その次が化学物質で、これは毒物劇物という観点ではなく、
発ガン率を確率的に上昇させるようなものが怖い。
だから、火傷のような症状を呈するなど、その場で分かる効果を持つ物質、
まあそういうのが毒物・劇物に指定される訳だが、などはそれほど脅威を感じない。
それは、扱いに注意を払えばいいし、逆に扱いが雑だとその結果はすぐに見られる訳だから。
それと、これはこういうところで書いてはいけないことかもしれないが、
放射線は、私たちの年代の人間は実は成長期に大量に浴びているのである。
いま、問題として騒がれているくらいの線量は普通に浴びていたはずだ。
自然界から日常生活で被爆する線量の桁が変わるくらいの線量を
からだが大きくなる時期に浴び続けてきたはずである。
それは、戦後に大国が核実験を行ない続けたからである。
もちろん今後のことは分からないが、
現時点で見る限り我々が特別に重大な状況になっているとは思えない。
だから、いまの報道のような世間をあおる必要なないと心の中では感じている。
もう一つ、これもこのような場で言ってはいけないことかもしれないが、
生物は、毒物の全くない環境で暮らすと良くないことは科学的に知られている。
自然放射線すら遮った場所で例えばマウスを飼育すると、
普通に育てたマウスに比べて寿命は短くなる。
クロロホルムは人体にとって毒であるが、
ごくごく微量、餌にクロロホルムを混ぜて育てたマウスの方が、
普通に育てたマウスよりも寿命が延びたという実験もあったはずだ。
広島の原爆のあとをずっと調べている研究結果では、
被爆線量の「等高線」のような地図を描いていった時に、
ある地点では、白血病の発症率が原爆の落ちていない地域の平均よりも低下していた。
放射線の害を調査する指標としての白血病の発症率が、
放射線を受けていないところよりも低かったのである。
これらは私の記憶のみで書いているので、
試料をあたってみたら小さなところで間違っているところはあるだろうが、
生物にとって害のあるものをほんの微量だけ摂取させることで
生命にとってはむしろいい効果のあることは実は良く知られていることなのだ。
だから、無菌や除菌など神経質にすること自体が間違っていると私はいう。
子供の頃はむしろ泥まみれになって遊ぶ方が間違いなく健康なのだ。
その際に気をつけるべきことは例えば破傷風などの致死的な細菌感染であって、
あるいは生命に関わるような事故などであって、
それは、「あそこに行ってはいけない」とか「何でも口に入れたらいけない」とか、
あるいは漆に触るとかぶれるとか、生活の知恵のごとく昔から言われていることである。
ちょっと過敏になり過ぎている感があるのと、
それをあおり過ぎている人がいるのが気になる。