なぜ(私が)英語の論文を読めるのか? その1

私は英語が苦手であった。今でもそれほど得意とは言えないのだが、この世界に入ったからには仕方なく、日々英語論文を読み、英語で論文を書いてきた。だから、英語の論文は普通に読めると言っても間違いではない。

なぜ読めるのか?その理由の一つは、原則として極めて分かりやすい文章で書かれていることである。大学受験に登場するような複雑な構文の文章はそれほど見ることはない。それはおそらく、研究者は誰にも誤解されないように、できる限り平易な表現を用いることに努めているからなのだろうと思う。

もうひとつ思うことがある。それは、専門の分野なので背景はしっかり理解できているし、それが論文の序文にもあらためて書かれているので、「英語を読む」という構えた姿勢をとらなくても、斜め読みで内容が入ってくることも大きいと思う。「こういう流れできたら、次はこういう話になるはず」という予測がそうそう間違うことはないので、安心して読み進められる。凝りに凝った趣向の論文にたまに出会うのだが、その場合にはこれまでこういう流れで読み進めたはずだったところに、急に意味不明の文章が現れる。こうなると途端に英語が読めなくなる。その段落の最初に戻ってかなり慎重に読み返していかなくてはならない。英語を文章としてひとつひとつその意味をとらえて読むのであれば、こういうことは起こり得ないだろう。要は、その段落全体で意味を考えているわけである。単語に意味は文章によって決められているし、文章の意味は文脈によって決められていると私はよく言うのだが、その一例なのかもしれない。

(つづきます)