国債卓越研究大学 その1

「シニフィエとシニフィアン」については、分子生物学の話として展開している中で議論を収束させるつもりが放散してきているので、いま必死に整理している最中である。気長にお待ちいただけるとありがたい。

ということで、すこし違う話を書こうと思っているのだが、申し訳ないが標題のテーマの話ではない。何度も書いている研究予算の話である。ではなぜこの標題をつけたのかだが、単純に先日の報道で目にしたからに過ぎない。

日本の研究は伸び悩んでいる。論文の数も質も諸外国から何周も遅れをとっているようだ。まあ、「質」に関してはその測り方もあるので一概に評価することもないとは思うし、どうでもいい論文をどうでもいい雑誌に投稿することもあるので数に関しても大きく考えすぎる必要はないだろうと思うのだが、でも裾野が広くないと山は高くならないので、低レベルの論文も含めての論文数は一定の指標にはできると考えている。

私が思うのは、なにを目指すのか?である。たとえば論文の質についてはそのとき最もHOTな分野の研究をしていれば、取り上げられることも多く「質の高い論文」として評価されがちだろうと思うのだが、そのHOTな分野も数年前までは誰も見向きもしなかった研究だったりするわけで、誰も見向きもしなかった領域に目をつけて数年後に世界の最先端にした研究にこそ価値があると思う。もっと言わせてもらえれば、HOTになった後には世界中の多くの研究者が群がってくるので、その研究はその人たちに任せればいいだろう。だから、優秀な研究者はまだ日の目を見ない面白い研究を発掘する方に向かって欲しい。後追いなら、設備とお金さえあれば普通の研究者にもできるだろうが、そこら辺にゴロゴロ転がっている石ころの中から玉を見つけることは優秀な研究者にしかできないし、だからこそ優秀な研究者にこそやってほしい。

もちろんこれはあまりに短絡的な指摘であって、一つ一つ取れば例外はある。だから、その例外を取り上げて議論をすることに意味を見出せない。極論すれば、誰かが発見し他の研究者が群がって「最先端」とした研究分野で1番になることがいいかどうかである。ここで私がいう「最先端」とは、急速に研究者人口が増え、急速に論文数が増えた分野であり、生物学で言えばCNS(Cell, Nature, Science)と呼ばれる「最高峰」の雑誌に論文が掲載される分野を指す。