シニフィアンとシニフィエ その3
「ヤバイ」という言葉を考える。元々は危険や不都合などネガティブな状況や感情を表す言葉であったのだが、格好いいのようなポジティブな感情を表す言葉としても使われ始め、最近では「おいしい」のような感覚にも用いられている。これも、「ヤバイ」という言葉がア・プリオリに意味を持っていないからこのような変化が可能となったわけで、ネガティブな表現の中でのみ意味を持っていた言葉がポジティブな表現の中にも居場所を確立できたということで、これはある意味「前適応」にも近いかもしれない。
コドンについて考える。AUGはメチオニンコドンでありUAG・UGA・UAAはストップコドンである。そのコドンを認識するのはtRNAである。メチオニンに結合しているtRNAがAUGを認識してペプチドのカルボキシル末端にメチオニンを付加する。さて、ではこのコドンとアミノ酸の間に何らかの必然性があるのかと言われれば、それはまったくない。別の3塩基がメチオニンの暗号であっても構わない。だから自然界にはサプレッサー変異が存在しうる。転写因子にしても同様に、その遺伝子の発現に関わる転写因子が「それ」である必要などまったくない。成長因子と受容体の関係にしても同じこと。それが選ばれたのはたまたま偶然としか言いようがない。なので、生命現象の分子的な意味を考える際には、シニフィエとシニフィアンの概念は必然的に考えられる。要するに、「意味」を考えるときに「必然」を考える必要はないということである。私たちの脳は意味を持ったものしか認識できない。だからさまざまな物事に意味付けしたくなるのだが、すべての「意味sign」に「意義significance」はないと考えなければ本質を見失うだろう。最も重要なことは、変異はゲノムに対して均等に入るのだが、淘汰圧がかけられるのは意味に対してだけであるという事実である。形態が意味を持つとき、その意味に淘汰圧がかかる。顕著な例は擬態であろうが、空気や水の抵抗を受けにくい流線型であったり攻撃や防御に関わるような形態にはもちろん淘汰圧はかかるし、ダーウィンフィンチの嘴なども淘汰圧の好例として知られている。「淘汰は機能にかかる」と言われる所以である。ある偉い先生が「淘汰はゲノムにかかる」とおっしゃっていたが、ゲノムを「意味の集合体」と考えるなら話は別だが、DNAの塩基配列とするのならこの考え方は間違えているとしかいえない。問題は、ゲノムという言葉を複数の意味で用いている現状であろう。
(つづきます)