信じる?(蛇足)

高校の近くに某キリスト教系の宗教施設があった(らしい)。白人の若者が二人1組になって自転車で周辺を走っては若者に声をかけて回っていた。多くの友人も登下校の際に声をかけられたそうだ。その時の第一声が、「あなたは神を信じますか?」だった。英語を母国語とする外国人特有の訛りある話し方で真似をするのが一時期はやっていた。

昨日も書いたことだが、キリスト教に限らず、一神教を信じる欧米の人たちにとって「神の存在」は自明の理である。そこに疑問を挟む余地など微塵もない。しかし当時の私は、「神の存在」を信じているかどうかについて問われているのだろうと思っていた。おそらく彼らは、当然の如く存在する「全能の神」を信じるか否かについて尋ねている。「全能の神」を知らない、あるいは信じない愚かな民を正しい道に教え導こうとしているのだろう。

ここで「信じる」の意味の議論に戻る。高校生の頃の私は(おそらく今でも)、この時の彼らの言葉を「神の存在」、あるいは「(存在すると仮定して)神を信頼・信用するや否や」を問われていると感じていた。これは「信じる」という言葉の意味の問題だけではなく、宗教観の問題でもある。私は、「お天道様が見ている」のような宗教観(?)はかなり強めにもっている。まあ、宗教というよりは倫理観・道徳感なのかもしれない。しかし、唯一絶対の神の存在による宗教観は想像すらできないのが現実である。この辺りにも、「信じる」の意味を私が捉えきれない理由があるのかもしれない。