さいえんす
先日、都立大の学生と飲みに行った。このブログの数少ない読者の一人だ。そこで、「もっとサイエンスのことを書いて欲しい」と言われた。実際のところ、必ずしもブログのためとは言い難いのだが書いてはいる。多い時だと1日に5〜6時間はパソコンに向かっていろいろと書いたり消したりを繰り返しているし、紙の上で落書きのように思索を繰り広げてもいて、実際にかなりの長文ができていたりする。問題は、それをブログに載せられないので、「書きかけ」の状態で大量の文章が残るものの表に出てこないだけなのである。公開できない理由の一つは、議論が複雑に展開しすぎて収拾がつかなくなったというのが多い。発端は遺伝子発現(分子機構ではなく、遺伝子が発現する意味というか、その本質)の議論であったのが、発生に至り進化に至ってゲノムの話から記号の話に展開して、何を書いているのかわからなくなる。一部には共感されるかもしれないが大部分には??となる「ドグラマグラ」のような文章(?)になってしまって、「もっと整理しないと公開できないなあ」なのだ。ひとえに文才のなさの成せるわざなのだが、性格も大いに貢献している。一つの目的のために枝葉をバッサリ切ってしまえばいいのだが、「こう書いたら、こっちの説明も必要だよな」などとやっていると議論が多岐にわたってしまい放散の一途を辿る。思索すること自体が好きなので、いろいろな方向から考えていると、これまで無関係だと思っていた事柄同士が「こんなふうにつながっているのか」と気づくこともあり、やっている本人はそれなりに楽しんでいる。だから特に問題は感じていないのだが、ご期待いただいている数少ない読者の方からすればサイエンスや思考の議論がたまにしか登場しないのもご不満に思うのかもしれない。