能力2

以下は先日の続き、「続き」というよりは関連した「妄想」に近いかも。

才能、まあ地頭の良し悪しのような感覚で捉えていただければいいかと思うのだが、については教育ではどうしようもないことの方が多いような気がするが、「その人が持っている才能を最大限発揮させる能力」については、教育である程度なんとかできそうな気がする、と書いた。

2・6・2の法則というのがある。すべてに当てはまるとも思えないのだが、まあこれに沿って考えたい。二割の生徒は、教員が何もしなくても自ら勉強できる。もうひとつの二割は、勉強や理解という行為を先天的に全くできない、とここではしておこう。だから、学業に関してこれら合わせて四割の生徒は、ここでの議論の対象としては放っておこう。

「才能」とは別に「努力(継続)する能力」がある、というのが先日の議論だった。まあ、「コツコツと地道に(飽きずに)勉強する能力とでも理解してもらえれば良いと思う。この「能力」にも2・6・2の法則があてはまるとすると、下位の二割は教育としてなかなか手をつけるのが難しいだろう。工夫をして、その生徒の利点や欠点を把握し、その生徒に応じた勉強の仕方を丁寧に教えても、生徒の側にそれを習得する気がなければ身を結ばないように思うからである。ただ、この下位の二割の中にも天性の才能を有する生徒が低い確率ながらもいるだろう。その生徒は努力しなくても普通の生徒の1/10の努力で10倍の成果を上げられるかもしれない。上位の二割(あるいは八割)にも才能が全くない生徒もいるかもしれない。真面目にコツコツと毎日勉強しているのに理解できない生徒はこれにあたるかもしれない。

これらはあくまでも可能性の問題なので、具体的に何かを想定しているわけではないが、まあ、極めて乱暴な考え方だが、才能がなく、努力する能力もない割合は二割の中の二割だろうから、それ以外の生徒には教育が手助けできるだろう。もちろんどこを目標にするのかによって確率は変化する。まあ、ざっくり言って全体の半分の生徒さんは、うまく導いてあげれば一定レベル以上に勉強ができるようになる可能性を有しているし、何か特別な物事(教科)に強く興味を持ってくれる(特定の才能を開花させる)可能性がある。ここがまさに教育の出番というわけだろう。

(変な方向に話が向かっていて議論したいところから大きくずれてきたので、またいつかどこかで本題に戻します)