心経と構造

思想・哲学書の読み方と大袈裟な題名をつけたコラムを以前に書いた。この文言で検索して訪れてくれた読者には(いるとしたら)申し訳ないと思うのだが、世間様とは異なる読み方をしているといった「言い訳」の文章とも言えるであろうか。

たとえば、般若心経についてはその解説本が5〜6冊はその辺に転がっていて、たまに風呂で眺める。だからと言って般若心経の解説ができるかといえば、それはまったくできない。戯れに解説もどきを書こうとしても、所詮はこの程度である。ただ、心経の解説本を読んで何も得るところがなかったかといえば、あくまでも自己満足としてではあるが、そうではない。「かたち論」をお読みくださった方にはご理解いただけるであろうが、構造論を思索していく過程で、心経の中心命題である「空」について自分なりに納得できる考えに落とし込むことが今のところできている。もちろん、心経の本質がこんな上っ面の理屈にはないのだろうが、心経の解説について読もうとする私の中での意味は、心経の本質を知りたいのではなく、自分の中で停滞している幾つかの考え方を少しでも前に進められるヒント(方法論)がないか探りたいという目的が大きいのだ。

とは言うものの、何冊かの書籍を紐解いたからと言ってすぐに問題解決に至ることなどそうあるわけではない。ただ「読書をしただけ」で終わることの方が多い。でも、それはそれで良いと思うし、その中で、別の意味合いにおいて新たな発想のもとになることもある。目に見える成果はなくとも、一度触れた思想体系は頭のどこかに残っていて、その他の書籍に触れた時に花開くこともある。ただの雑学収集だけに終わることも多いのだが、それはそれで良いじゃないか。