知恵1
10年以内にAIが人間の知恵を超える確率は50%だという報道をみた。ここで言われる「知恵」ってどういう定義がなされているのだろう?
まず、人智のほとんどは先人の知恵の伝承であろう。伝承というと誤解を与えるかもしれないが、言語の習得にしても生活習慣にしても、もっと言えば立ち居振る舞いにしても生まれながらに(生得的に)持っているものではなく、成長の過程で身近な人を見ながら獲得するものであることは明らかだろう。もちろん、学校での勉強も同じことで、それ以外にも自身の経験によって脳内に積み重ねられてきた知識が体系化された結果としてその人がいるし、社会が成立している。逆に言えば、自分が出会った経験からしか何も得ることはない。生きてきて直接的に触れるのは身近な人たちの言動なのだが、読書やメディアから得られる知見は人類が集積してきた知恵の集合だと思う。また、わたしが出会った知見に、隣の人が出会っている確率はかなり低いだろうから、自分が持っている知見やそこから確立した自身の体系によってのみさまざまな判断がなされる。逆に言えば、自分が経験してこなかった知見はその判断に介入することはできない。だからこそ、個人個人で持っている物差しは異なるし、その「物差し」によってなされる判断も正反対に見えるほど違ってくる。こういう偏った価値観を正義として他者を糾弾する風潮も最近では多いように感じる。特に、最近のSNSでは好みの情報のみが積極的に送られてくる。あるいは好まない情報に触れることは避けられる。普通に何かを検索するだけで、検索した情報に関係するコマーシャルが頻繁に流れてくる。自分が積極的に触れることがない情報からは完全に隔離され、その真偽すらわかないが耳触りのいい(自分の好み通りの情報だから)あやしい知識だけを無意識下で取捨選択することを強いられ、極端に偏った情報から自分の中で「正義(1, 2)」が確立する。これも人間の「知恵」である。要するに、人間の知恵のほとんどすべては過去からの知見の蓄積によって成立するわけだ。
では、「想像」はどうだろうか?