時代小説とミステリ
「私はミステリか思想書しか読まない」と言いつつ時代ものも好きだと以前書いた。ただ、ロジックで固められたミステリでなければ、純文学やバリバリの恋愛小説以外は多かれ少なかれ広義のミステリ的な「謎解き」は含まれている。だから、時代小説を読んでいても数多くの謎解きが用意されているので素直に楽しめるのだ。近年では「斎王の盾」なんかはかなり面白かった。この著者のものは何を読んでも面白い。ミステリ作家が時代ものに挑戦した(戦国時代を背景にミステリを書いた)ものとして、米澤穂信の「黒牢城」は楽しんで読めた。小市民シリーズの著者である。古典部シリーズの著者である。「この作家がこんな文章を書くのだ」と驚きつつ楽しめた。面白かったのは本当なのだが、ミステリとしては大した評価はできないかなあ(あくまでも私の偏見いっぱいの基準である)。それと、この本に書かれている言葉っていまの若い人はどれだけ読めるのだろう??
ミステリという意味では、個人的には長編よりも短編を好む。これは長さの問題ではない。無駄に長くしてもらいたくないのだ(天城一ほどストイックに切り詰める必要もないとは思うが)。必要最低限なところまで切り詰めてもらいたい。連城三紀彦は短編にそのキレが見える。横山秀夫も短編がいい。時代小説では山本周五郎も、「樅の木」のような名作もあるのだが、個人的には短編に軍配を上げる。ちなみに周五郎の処女作は「須磨寺附近」であり、まさに須磨寺付近に居住している私は勝手に親近感を覚えている(ただ、この短編はあまり好みではない)。連城・横山両者共に、長編にもその技巧が散りばめられているのだが、小技がチョロチョロと見え隠れするように感じられるだけで名刀の一太刀がみられないように思える。もちろん読み方の問題であり、長編には長編の面白さはあることは理解しているし、それなりに楽しんで読んでいる。長さという意味で「これ以上長くてもこれ以上短くてもいけない」と感心した長編(中編かも?)ミステリは、あげ出したらきりがないのだが、あまり有名でないところを一つだけご紹介すれば、ジル・マゴーンの「騙し絵の檻」である。興味のある方はご一読ください。