公儀介錯人
標題の言葉は私たちより上の世代には馴染みのある言葉だと思う。子連れ狼の拝一刀(おがみいっとう)の役職である。もちろん架空の役職だ。萬屋錦之介主演のドラマを観ていたのはまだ小学生の頃だったからこの言葉の意味を考えなかった。まあ、単に「幕府御用達の介錯人」くらいの感覚で了解していた。ただ、介錯人って介錯をする人だから、ただ止まっている「モノ」を切るだけなので誰でもできる仕事だとも思っていた。大人になって、綺麗に首を落とすことにはかなりの技術が必要であることを知った。特に、実際に人を切ることがなくなった江戸の世になってからの介錯はうまくいかないことも多かったらしく、首の途中で刀が止まったりすることも少なくなかったとも聞く。
話変わって山田浅右衛門、通称首斬り浅右衛門のこと。これはまさに「公儀介錯人」、江戸時代の「死刑執行人」である。結果として、山田家だけが代々この仕事を受けることとなり、浅右衛門という名前を代々受け継いできた。やはりかなりの技術が必要だったようで、誰でもなれたわけではなく、世襲の世でも技術不足で後を継げなかった人もいたらしい。その場合には弟子のうちの腕が立つ者が跡目を継ぐこととなった。
実際に「人を切る」ことがなくなった江戸の世において、人を切ることが正式に許されるのは山田浅右衛門のみとなった。だからなのだろう、御様御用(御試御用、おためしごよう)と呼ばれる刀剣の試し斬りもその役目となった。御様御用とは、その刀剣の切れ味の鋭さを確かめることを仕事とし、その刀剣の業(わざ)を証明する仕事でもあった。公に人を切ることができる唯一の人が発行する証明書は大きな価値があり、それが大きな収入となった。「業物ランキング」のような格付けの発行もしたらしい。面白いところでは、人の臓物を用いて結核に効くとされる丸薬を作り販売していたことである。これも、この人ならではの仕事だと感じる。
話が散らかってきた。この話を書きたかったきっかけは、「江戸時代の武士は、偉そうに振る舞いながら実際に刀を使った勝負をしたことがなかった」という話を読んだからで、だから人を切る技を持たない武士が増え、拝一刀は強かったのだなと変な納得をしたことである。首斬り浅右衛門と刀剣の鑑定の話も頭の中でつながった。私は「思想哲学書とミステリしか読まない」などとしているが、実は時代小説も好きである。そういうものを読んでいく中で様々な用語が出てくるのだが、親切に説明してくれることもなく、なんとなく読み進めていた。複数の小説の中、複数の文脈で同じ言葉が使用されていたら文脈から意味を感じ取れるので、それでだいたい間違いはないのだが、それでも「なぜ」はたくさんあった。その一つがこの話題である。ただそれだけのこと。
そう言えば、公儀隠密を題材にした「大江戸捜査網」という時代劇があったが、そのサブタイトルがカタカナで「アンタッチャブル」だったと少し懐かしく思い出した。「隠密同心 心得之条(こころえのじょう)、 わが命わが物と思わず 武門之儀 あくまで陰にて 己の器量を伏し 御下命 如何にても果すべし 尚 死して屍拾う者なし」ってナレーションが格好良かったなあ。