新田義貞

思考が混乱しているので現実逃避で太平記を読んでいた(単なる脳みそのリフレッシュのためで、他に理由はありません)。

私は神戸市に住んでおり小学生の頃から初詣は湊川神社に行っている。湊川の合戦で自害した楠木正成を祀っている神社である。この辺りには多聞通りと呼ばれる住所があるが、これも楠木正成の幼名「多聞丸」から取られている。祖母の里は、後醍醐天皇が南朝をひらいた場所、奈良の吉野であるというのも関係してだろうか、楠木正成に対する思い入れが強い。60年の人生の要となるときに、湊川神社でダルマを買って願掛けをした。このダルマは私にとって霊剣あらたかで、これまで願いはすべて叶ってきている。最初は小さなダルマを購入したのだが、願いが叶って次の年に両目の入ったダルマを返しにいくと、そのまま帰りにくくて、なんとなく新しくダルマを購入するのだが、その際には前回よりも少し大きめのダルマを買うこととなる。これを繰り返すので、今うちにあるダルマは選挙事務所に飾られているくらいの大きさがある。ダルマは購入するのだが、そのときには何も願い事はないので、目を入れずに家に鎮座していただいている。そして、願い事ができたとき、それもかなり大きな願い事の時にだけ片目を入れる。霊剣あらたかがすぎているので神様の無駄遣いにもなるため軽々のことでは目は入れられない。

さて、さまざまな太平記の読み方はあろうと思うのだが、楠木正成に思い入れがある私としては新田義貞が許せない。偏見いっぱいを承知で書けば、死にかけの鎌倉幕府を滅ぼしただけが新田義貞の功績であり、それ以外では「こいつさえいなければ」という場面ばかりだったように思う。「なぜあそこであんなことをした、なぜあそこであれをしなかった」、そんなことばかりだ。群馬県民なら誰でも諳んじられる上毛かるたの「れ」は、「歴史に名高い新田義貞」とあるそうだ。群馬県では日本史を正しく教えているのだろうか?と疑問に思う。

とまあ、勝手な思い入れで悪口雑言を書いてしまったが、ここでふと立ち止まって考えてみる。私は楠木正成が好きで湊川神社には足繁く(と言うほどでもないが)通っている。そして、人生の重要な決断の時には湊川神社で買ったダルマに願をかける。これは上述のとおりである。さて、ダルマである。ダルマにはたくさんの種類があるようだが、ネットで調べた限り私がいつも購入しているダルマは高崎ダルマに特徴的な顔をしている。他の産地のダルマとは顔つきが異なっているし、湊川神社の初詣の時に出店している「ダルマ売り」の中でもこの顔を好んで選んでいるから思い入れもある。はて?高崎ダルマ??高崎って群馬県だよな?新田義貞を祀っている新田神社って群馬県太田市にあって、高崎の隣だったよな?ということは・・・・・。