実験

研究者をやっている、あるいは志す、動機は人それぞれだと思います。私は発生学、特に時間と共に形が変わっていく様子に心を惹かれことが大きいです。だから、他の人も同じものを見て同じように興味を持ってもらえるとどうしても考えてしまいます。でも、人の興味はそれぞれ異なっていることも頭では理解してます。

中高生の理科離れの問題は「論理離れの問題」だと思っていますが、論理について高校生にいきなり理解してもらえるとは思っていません。ただ、理科(科学)は論理である、その意味において文系も理系も同じであるという単純なことに気づいていない若い人がそれに気づくことは大切な意味を持つと思います。「理科は論理だ」と言いながら「文系も同じ」と言うのは矛盾しているとお感じになるかもしれません。そう言われて仕舞えばその通りなのですが、橋本が思っているのは少し次元が違います。

論理の基本は国語力だと思っています。国語の試験がよくできるとか漢字をたくさん知っているとかいう教科としての「国語」ではなく、表現する能力を意味しています。だから、小学生には作文教育をしていただきたいと常々思っています。で、言葉で表現する訓練を積まないままに中学生になり高校生になってしまうわけですが、中学くらいから少しずつ「理科」に論理性が求められすようになってきます。ここでそれまで「論理的に考えること」を学んでこなかったツケが回ってきます。対して、俗に言う文系科目は(そこにも論理は存在するし、論理的に考えないと理解が難しいのは言うまでもありませんが)、とにかく本質的な理解をしなくても暗記することで何となく乗り切れてしまいます。この「論理的な理解」から逃げた先が文系であり、理科離れではないかと思っているのです。全面的に正解かどうかは分かりませんが、この理解で説明できる事象もたくさんあるように感じます。

ちょっと横道にそれましたので、明日立て直します。