淘汰

淘汰という考え方が進化を考える上での基本だろう。だから、その生命現象にどのような淘汰圧がかかっているかを考えることが、進化は言うに及ばず現存する生物の現象を考える上で最も重要だと思う。

淘汰という概念よりも選択という概念の方が進化の説明には馴染むようだ。ダーウィンフィンチのクチバシも、その形状をしている方が生存に有利であると説明されるし、工業暗化においても黒い蛾の方が生存に有利だとされる。しかし、個人的にはそちらの方が有利なのではなく、そうでない方が不利だったと考える方がしっくりくる。

淘汰は英語でnegative selectionという。だから、淘汰圧ではなく選択圧という言葉が使われる。昔は自然淘汰と呼ばれていたが今では自然選択が一般的だろう。自然選択といったら「優れたものが選ばれる」感覚が強いのだが、一般に考えて変異は淘汰されるかされないかでしかない。残り得るか残り得ないかの二択でしかあり得ない。変異体が優勢を占める場合には環境の変化が基本になければならないだろう。マンチェスターでの産業革命により環境が劇的に変化したから黒い蛾が選択的に生存してきたように見えるだけで、実際には煤によって環境が黒くなったから従来の白い蛾が生存できなくなった結果として相対的に黒い蛾が増えたと考える方が理にかなっているように感じられる。

これらは相対的に考えるべき問題なので選択と淘汰は同じ概念を反対から見ただけのことだとの意見もあるだろうが、実はこれらの考え方は根本的に違う。優秀な変異が「選ばれた」という考え方と、淘汰されなかった変異は優秀ではなくても「仕方なく残ってきた」という考えの違いだ。ある変異が残りうるかどうかは、その変異が占められる場所があるかどうかにかかっている。その変異を有する遺伝子(分子)がその他の遺伝子(分子)との間に関係性を築けるのかが重要であろうし、たとえ何らかの関係性が築けたとしても、その個体が子孫を残していけるのか(その個体が占められる環境が存在するのか)が重要な意味を持つ。この説明は実は逆で、どんな変異であろうが、それが占められるニッチを見つけることができれば、その変異は生き残れるのである。

この考え方が進化を考える上で最も重要であろうし、現在の生成AIの考え方に極めて近いのである。