言語と思考 1/4
言語と思考について以前から何度も書いている(たとえばこれ)。思考は言語に依存すると考える一方で、一人で思考(黙考)しているときに頭の中には言語はないという「矛盾」について考えているわけだ。
生まれたばかりの赤ちゃんの脳には成人の一億倍以上の神経ネットワークが存在していると言われる。成人になっていきなりネットワークの数が激減するとも思えないので、成長とともに使われないネットワークが少しずつ淘汰されているのだろう。これは生物の世界では普通に起こっていることである。遺伝子には日々変異が導入されるが、必須の遺伝子に入った変異は多くの場合に除去される。ここでいう必須の遺伝子とは、単純に生物としての生活環の中で使われるものと言える。変異を考えなくても、現存する遺伝子配列の中でタンパク質をコードする配列(特に開始コドン)は我々が考えているよりもはるかに多いとされる。要するに、一つの遺伝子から複数のタンパク質が翻訳されているし、遺伝子とされていない配列からも短いペプチドが作られているということだ。このうち、害のあるタンパク質を作る場合には何らかの方法で淘汰圧をかけなければならないだろうし、特に問題なければそのまま翻訳は続くだろうが、そのたんぱく質に意味はないことの方が多いことは簡単に予想できる。ここでいう「意味」とは淘汰圧によって規定されると言える。抗体の多様性を担保する機構も、基本的にはありとあらゆるものに結合する抗体を産生する能力を哺乳類は有しているが、己の組織に免疫応答が起こってはマズいから免疫寛容という機構で自己免疫に関わるクローンを淘汰する。
で、神経ネットワークの話である。成人の一億倍のネットワークが存在するということだが、裏を返せば成人には必要がない神経ネットワークを赤ちゃんは持っていることとなる。そこで考えられるのは、赤ちゃんが持つネットワークは、例えばすべての言語の論理体系をカバーできるネットワークであって、言語を習得する過程で使われないネットワークを淘汰していっているのではないだろうかということである。要は、日本語を学習する過程で英語に特有の神経回路は使われないから徐々に削除されていくし、英語環境で育つ子どもの脳からは日本語特有の論理体系を構築するための神経ネットワークは排除されるといった具合である。子どもの頃から複数の言語で教育されればそこで求められる神経ネットワークは淘汰されずに維持されるだろうということだ。
(続きます)