「理解」するには 2/2

試験後の授業で「試験問題に潜在する意味」を解説すると、乾いた砂が水を吸収するように理解してもらえると思います。その理由は、とにかく試験中に真剣に考えるからです。

近年、探究授業の講師としてお呼びいただく機会が増えてきました。昨年は4・5限通して授業をする機会がありました。授業と言っても何かを教えるのではありません。普段は先生向けに行なっている「考える会」の生徒版を行ないました。先生たちは生物という教科を長年教えている立場から、基本的なことは省略していきなり本題に入れますが、生徒さんにはそうはいきません。基本知識を一応は解説してから本題に入りますが、初めて聞いた言葉をすぐに理解などできるはずもなく、本当に手探り状態での授業になります。さて、4限と5限の間には昼休みがあります。それを有効利用しようと、4限目にいくつか考えてもらう「謎」を出しました。「昼休みが終わったら発表してもらうから」という圧を先生からかけていただいたので、たぶん昼休み中も考え抜いたのでしょう。一人で考える生徒さんもいるでしょうし、仲間と議論しながら考えた生徒さんもいたでしょう。とにかく昼休みが終わり5限目になりました。何人かに発表してもらいましたがこちらが期待する回答には至りませんでした。そこで、「正解」の解説をしたのですが、その時の理解度がすごかったのです。生徒さんの頭の中を覗き見ることはできませんが、この商売を長年していると、理解しているか理解していないのかはその場の空気でわかります。橋本が解説している瞬間瞬間で「あ、そうか」「なるほど」といった言葉と共に、目の輝きや納得の首振りなど、「あ、いまこの瞬間に理解したな」ということが伝わってくるのです。たぶん、正解に届く届かないは関係なく、「必死に考えること」が大切で、ただただ参考書を読んで理解する何倍も効率的に新しい考え方を吸収してくれます。これは「考える会」に参加された先生方からも同様のご感想をいただきます。参考書や授業など受動的に入ってきた知識は脳の中で関係性を構築する前に消去されますが、自ら必死になって考えることで新たな知識が入ることのできる場所が作られたからだろうと思っています。「ある言語体系から別の言語体系に変化する際に生き残るのは実質の方であって形式ではない」と比較言語学者ソシュールは考えました。実質、すなわち新しい体型の中で明確に意味付けされた結果として「残る」ということですが、意味付けするためのプラットフォームが必死に考えることで生徒さんたちの頭の中に出来上がっているということにでもなるのでしょう。

とまあ、こんな理屈をつける必要などなく、事実として積極的に考えるという行為が理解には大きな効果を持つことは事実ですし、おそらくはこれが学習指導要領が言うところの「主体的に学ぶ」の意味なのかも知れません。ど素人がこんなことを偉そうに書いていることに恥ずかしさを覚えますが、「そこはおかしい」みたいなご意見があればまたお聞かせください。

長々と書き連ねましたが、言いたいことがまったく書けていないと感じています。似たようなことは過去に何度か書いていますが(例えばゲノムを理解することとは, 理解とは・説明とは)いつも中途半端にしかなりません。橋本の作文能力の低さが主たる原因ですが、もう一つの理由として、前提の話を完全に飛ばして書いたことが挙げられます。その前提も含めて、この内容は11月18日のレクチャーでもお話しいたしますのでよろしかったらお越しください。