英語の学習 1/3

三十年ほど前からやってみたいなと思っていたことがあります。それは、最低限の英語の成り立ちを学習した若い人に英語を教えたいということです。「英語を教える」というのはたぶん間違っています。教える能力も技量もないからです。数十年の間、大学院の学生の指導をしてきましたから指導力はあると誤解される方もいらっしゃるかも知れませんが、私たちのやっていることは未知の解明ですから必ずしも「先生」が正解を知っているわけではありません。というか経験に基づく実験手法や考え方などは指導できますが、最終的には「やってみないとわからない」ので、学生からの質問にも「わからんなあ・・・まあやってみて考えよう」となることが多いのです。その意味で高校の先生方は大変だなあと思います。先生はなんでも知っている人で、先生に聞けばなんでもわかると生徒は思っているでしょうから、生徒に「わからない」を言えません。「英語を教えたい」と言っても、「ここどういう意味?」と聞かれて答えられないとことは山のようにあります。「だいたいこういう意味だろう」くらいしかわかりません。構文がどうなっているかも理解していません。でもね、では日本語の文法を私たちが理解して言葉を発しているのかと言えば、そんなことはないでしょう。初めに言葉があって、それを分析した結果が文法なのであって、文法が先にあって言葉ができたわけではないってことです。で、何を教えたいかと言えば、国内に就職先がなく仕方なく行ったアメリカ生活の中で「あ、英語ってこうなんだ」と感じるものがあって、そう考えたら全てが腑に落ちることに気づいたのですが、それがそれまで日本で英語を勉強してきた方法とは全く違っていたので、「教えたい」と偉そうに書いていますが本当の気持ちはそうではなく、橋本が気づいた方法を若い人に「伝授」したいという気持ちなのです(伝授っていうのもおこがましいのですが)。言葉を変えれば、「こういう見方・考え方をすれば英語はわかるのに、皆さんどうして難しい方法で苦労しているんだろう」とあくまでも個人的に感じていることを伝え、実践してみたいと思っているに過ぎません。

(つづきます)