論文の書き方

論文の表現にはいつも苦労する。

苦労と言ってももしかしたら普通の研究者の苦労とは違うかもしれない。

例えれば、推理小説の「プロット」のように、

どういう筋書きで書くのが最も驚きがあるかを考えるのだ。

これに関しては何度か書いたのでそちらも見ていただけるといいだろう

(たとえばhttps://hashimochi.com/archives/6899)。

 

で、2002年に公表した論文のことを先日飲み屋でボーッと考えていた。

両生類の中胚葉は胞胚腔をさかのぼらないというモデルを初めて世に問うたものだ。

この論文では、ツメガエルの原腸形成過程をちょっと変わった実験方法で観察し、

その結果を示した上でモデルを提唱している。

そして、そのモデルから羊膜類の原腸形成との類似点を議論する展開となっている。

産みの苦しみと言うか、この論文は公開されるまでにかなり苦労した。

どこに出しても突き返されるのである。

その頃は(今でも世間の大半は)両生類の中軸中胚葉は胞胚腔の屋根を裏打ちしながら

動物極方向へとさかのぼることが常識であり、

それを東洋の名も無き研究者が無茶な理屈で否定しているとでも思ったのだろうか、

とても論理的とはいえないコメントで否定され続けた。

心が折れそうになったが陰ながら励まして下さる友人のおかげで

なんとか日の目を見ることができたという内容である。

昨年、このモデルが両生類に共通することを実験的に明らかに出来た。

(現在論文を投稿中だが投稿後2ヶ月経っても審査結果が戻ってこない。

普通は一ヶ月以内とされているのでこれはあまりに異常な状況であり、

12年前のことをふと思いだして不安な日々を送っている)。

 

で、12年前の論文の話だが、

もしかして、羊膜類との比較の論理的モデルを仮説として最初に登場させ、

それを証明するという文脈でツメガエルの実験結果を示していたらどうだっただろう?

ちょっと斜に構えた書き方になるが、

進化・発生に関する論理的仮説を実験をもって明らかにするという方法論は、

たとえばNatureなどが好きな、ちょっと衒い過ぎの感もある流れのようにも思うが、

でも、個人的にこういう筋書きは好みである。

まあ今になってしまえばその書き方が奏効したかは分からないのだが、

「なぜこの筋書きをそのときに思い描かなかったのだろうか?」と

飲みながら思ったのだ。

同じデータを使っているにもかかわらず、

おそらくまったく異なる筋書きの論文に出来ただろうし、

仮説の証明ならピンポイントで結果を提出できる。

しかし、常識にもなっている既存のモデルを否定するには、

十分と思われる以上の実験結果を示さなければならない。

論理的にはこれで十分だろうと思う結果でも不十分だということである。