相似と普遍性

系統的にその起源を同じとしない、

しかし形やはたらきが非常に似ている構造を相似と呼ぶ。

この相似構造をつくるのに働く遺伝子が「相同遺伝子」であることがたくさん報告されている。

これをどう考えるのかである。

 

ゲノムは体系でありかたち(構造)であると考えている。

そのかたちが具現化してものが生物の形態であり、

だから形態はゲノム上にかたちとして潜在すると考えるわけである。

たとえば、多細胞生物の進化の過程で、

ある特定の構造を作り上げるゲノムの情報(あるいは遺伝子のセット)を獲得したと考えて不思議はない。

別の言い方をすれば、ある遺伝子のセットがある条件で発現すれば、

特定の形態の基本構造ができ上がると考える。

とすれば、系統的につながりのない生きもの間での相似構造においても、

その遺伝子のセットが使われたならその構造を構築することはできるだろうし、

むしろ、だからこそ相似構造を作る遺伝子が相同であるという事実が存在するのだろう。

これを突き詰めて考えれば、ゲノムが生きもののかたちを具現化する仕組みが見えてくるかもしれないし、

これはむしろ系統進化とはまったく次元の異なる議論であるように思う。

私がゲノムと体系と呼びかたちと呼ぶ意味合いはここにある。

 

穿ち過ぎた見方かもしれないが、

かたちとしてのゲノムが具現化して生きものの形(形態)になるというのは

きわめて象徴的な意味合いを指し示しているのではなかろうか?