ないとは言い切れない

若山先生の言葉が変な方向へと理解されていますよね。

 

「すべての解析結果がそれを否定することになっている」に続いて

「絶対にないと証明することはできない」といったのだから、

文脈から普通に判断すれば、趣旨は「まず絶対にない」でしょう。

でも、論理的に「無を証明するのは不可能である」ってこと。

あるものを証明するのは簡単で、それを見せれば済むことだが、

ないということは基本的には絶対に証明できない。

これを「悪魔の証明」ともいうそうだが、

そんなのは誰が考えたって分かる当たり前のことだ。

『「絶対ないともいえない」と若山教授は慎重な姿勢も見せた』、

などと捉えるのは論理のいろはが分からない人だろうと思わざるを得ない。

 

だから若山先生に限らずこの手の表現は限定的にならざるを得ない。

「この条件下では確認できなかった」

「現在までの実験ではあるということを示す証拠はない」ということしか言えない。

だからネッシーもUFOも雪男もいないとは絶対に断言できないのだ。

まあUMAやUFOなどはそこにロマンがあるのだが・・・・・。

 

それはさておき、この問題の場合には、

「ある」とした論文の手法によって存在を証明できないことが問題であり、

また、その論文中のデータがことごとく「間違い」であったということで、

なら、現時点でこの世の中に「ある」という証拠は

本人の脳みその中以外には完全にないことになる。

だから、気持ちの上では「ほぼ完全にない」と考えているのだろうが、

でも「悪魔の証明」の論理で「ない」とはいえない。

まあそれだけの発言だということでしょう。

この言葉を肯定的にとらえている人はたぶん意味を取り違えているんじゃないかな?