形式

かたちは形式として民族の生活の礎にもなる。

神事がそうだろうし祭りなどもそうだろう。

正月行事や結婚式・葬式などもこれに当たる。

軽い感じではマナーなんてのも同じことだと思う。

 

これらの形式は、決まり事であり決して軽々に変更して良いことではない。

形式を破れば不躾であり無礼である。

もちろん言語も同じ形式のひとつであろう。

これらありとあらゆる形式によって国民や民族は成立している。

その国に済むからその国民というのは法的にはそうかもしれないが、

それは根本から間違えているように感じられる。

だから教育やしつけが重要である。

教育やしつけとはこれら形式を覚え込ませることに等しいだろう。

してはいけないことはしてはいけない。

しなければならないことはしなければならない。

これらは民族文化宗教によってすべて異なるだろう。

だから、民族の対立が生じ、宗教感の争いが起こる。

それは理屈ではなく、それら形式によってその民族が成立しているからに過ぎない。

 

何となく、最近の我が国は伝統文化や形式をおろそかにしているように感じられてならない。

まあ同じことは私たちの世代も親世代から言われて来たのだろうから、

あくまでも感覚的なものだろうとは思う。

でも、伝統様式を軽んじている人が少なくないように思えてならない。

日本人の美徳をないがしろにしているような振る舞いを街中(まちなか)でよく見る。

これらの行ないはすべからく日本国民としての存在そのものの否定に繋がると思う。

言語・祭事は言うに及ばず、日常の細やかな礼儀作法などの形式は

守り継がれて当たり前のことである。

我々の誇りの源はここにしかないのだから。