「かたち」と「関係性」
「かたちは関係性である」と私は言っている。
しかし、その本質的な意味はおそらく伝わっていないと感じる。
空間にいくつかの「点」があるとしよう。
ビーズとかを思い浮かべてくれても構わない。
点がバラバラならそこに見た目のかたちは存在しないのはわかるだろう。
では点を床(平面)に並べ,それぞれ隣の点と細い針金で結ぶと、
一直線にならない限りは編み目模様となるはずである
(ここでは、針金と点の接着部分は可動であるけれど、
針金自体は途中で折り曲がらないものと考えて下さい)。
さて、これで編み目という「かたち」は存在できた。
ひとつの点から他の点への伸びる針金の数を増やせば、
すなわち、ひとつの点と結びつけられる点の数を増やせば、
編み目は強固になるであろう。
だから、少ない本数の針金で繋がっている「網」はくにゃくにゃに曲がるだろうし、
その形を維持しにくいのは経験上分かる。
点に繋がる針金の数が増えていけば、
その点と繋がっている他の点の数が増えることとなり、
「網」は曲がりにくく強固になるだろう。
では、さらに多くの点と針金をつないでいけば、
平面としてのつながりの限度を超えれば最終的には立体的に繋がることとなろう。
感覚的に言えばジャングルジムのようなものになる。
ここでも、ひとつの点と繋がる点の数が少なければ、
どこかから押されれば変形する柔いかたちであろうが、
つながる点,すなわち針金の数が多くなればなるほどそのかたちは強固となるのは分かる。
講義で「かたち」を学生に問うと
輪郭を持った固い何かについて述べようとする傾向が強い。
スライムのようなものは「かたち」として認識しにくいようだ。
しかし、上の例で分かるように、
様々なものと関係性が封雑に絡むことでその「かたち」は強固になる。
この場合に見た目に固くて変形しないかたちと言うのは
単に他の物との結びつきの強い(関係性の多い)ということに他ならず、
関係性の「強い・弱い」と「かたち」との差は質的にはないだろう。
そういえば、生きものを「固定」する際にホルマリンなどが用いられるのだが、
この薬剤も、生きものを構成する様々な高分子の間に架橋を作ることで
全体のかたちを固くしている。
普通なら水の中にプカプカ浮かんでいるタンパク質などを、
近くにいる他のタンパク質や糖質などと強制的に結びつける。
これが様々なタンパク質や糖質等々と互いに結びつけられ、
その場から動けなくなる。
結びつけられる箇所の数が多くなればなるほど、
全体が強固になるのは編み目やジャングルジムのたとえで理解できよう。
だから、結果として生体高分子はそのままの位置に「固定」されるということである。
だから絶対的な固定ということではなく、
相対的に、互いに互いの位置を「固定」しているといえる。
この意味で、固さとは関係性の数に比例すると考えてもあながち間違いではない。
言語や思考もかたちだと考えられる。
関係性が多ければそのかたちはより強固となるわけで、
だから、知識が増えるということは、
特定の知識との関係性がより増えることとなり、
そうすれば、その知識は互いに強固に繋がり合ってかたちは安定となる。
これが、単語カードで単語を覚えられない理由である。
何かを覚える時には何かと関連づけて覚える、
それも複数のものと関連づけて覚えるのが有効だし、
その関連づけられたものもさらに他の複数のものと関連づけられていれば、
もはや記憶から消失することは難しくなるだろう。
粗い編み目が密になり、平面から立体へと変わる時にかたちは強固となる。
これと同じと考えて良い。
だから、何でも知っている人は記憶力が良い。
記憶力が良いから何でも知っているのではなく、
様々なかたちができ上がっている中に新しい知識を入れると、
そこにその知識が関係を結べるものがたくさんある。
だから、逆にまったく未知の分野を一から始めることは難しいのである。
最初はまったく分からない状況が続く。
針金で繋がっていないビーズがただ床に転がっているだけである。
どこかに転がってなくなってしまいそうなくらい危うい。
しかし、他のビーズと針金が繋がり粗い目であっても網ができたらあとは飛躍的に伸びる。
編み目をどんどん細かくし、立体的に作り上げていけば良いだけの話である。
ざっくり言えば、こういう考え方から
言語も音楽も思想も「かたち」として認識されるということである。
そして、その同一線上にゲノムもある。