普遍と多様
生きものがある分類群に分けられるとするならば
その分類群に普遍な形づくりの仕組みがなければならないと思う。
普遍な仕組みがなければ分類「群」にはならずただただバラバラな多様性しか生じない。
でも、その普遍な仕組みさえ踏襲していれば
その原則のもとでは多様性が担保されなければならない。
だからその分類群の中での多様性が存在する。
わたしはこれを発生拘束と呼んでいるけど
その分類群に必須の「基本形」を作る過程だけは踏まなくてはならないが、
そこさえ踏んでいれば他のところはそこそこ自由に変化しても良いってことだろう。
わたしが「ゲノムを見るだけでは進化は語れない」と思う理由は、
どんな変化であろうが発生過程の拘束を受けないものはないということであり、
その生きものの発生過程に潜在する普遍的機構に従わない変異は生きものとして残り得ない
したがって子孫を残し得ないことになる。
これがゲノムをカテゴリーに分ける仕組みの大きな枠組みだと感じる。
多様性を考えるには普遍性を考えなければならないし
普遍性は多様性無しには論じられない。
普遍なき多様は無秩序で多様なき普遍は・・・それはもはや普遍ではないだろう。
だって、多様のない普遍ってことはそれ一種類しかいないってことで、
そこに普遍性の概念なんて成立できないからね。
男がいるから女がいて、女がいるから男がいる、
性がひとつしかなければ男・女という概念そのものが存在し得ないのは当たり前のこと。