進化と意味付け3
「進化(変化)はさほど容易には起こりえない」と昨日結んだ。
では、カンブリア爆発の時になぜあれほどまでの変化が許容されたのかである。
これはいままでに何度も議論してきたことなのだがあらためて書いておく
(https://hashimochi.com/archives/5923)。
まず大前提に、「有利な変異」というものは原則的に存在しないと私は考えている。
その時に存在するゲノムがもっともその時点での環境に適応していると思っているのだが、
その理由は前回と前々回の議論でご理解いただけるだろう。
だから、生存に有利な変異とは「新たな環境に適応できる変異」と理解する。
環境の変化によって、これまでのゲノムが適応しきれなくなった時に、
これまでのゲノムに対してかなり厳しい淘汰圧が働くこととなるだろう。
平時では新たな変異に対して厳しい淘汰圧が働いていたのだが、
同様の淘汰圧がこれまでのゲノム(が形づくる遺伝子の関係性)にもかかるのである。
こうなると、変異を許容する度合いが一気に広くなる。
この環境変化が劇的であり、それまでのゲノムにとって致命的であればあるほど、
あらたな変異が生き残る確率は段違いに高くなるはずである。
もちろんこれは相対的な意味であって、
これまでのゲノムが生きられないから新たな関係性(ゲノム)が残るに過ぎない。
結局のところ「何でもあり」の状況が生じるわけで、
これこそが「カタストロフィー」の本質なのだろうとさえ思うのだ。