進化と意味付け2

さて、私はひとつの突然変異で進化が起こるとは原則として考えていない。

その理由は昨日の議論と同じである。

ひとつの突然変異というのは日常的に頻繁に起こりうる。

では、日常的に目に見えて進化が繰り広げられているのかといえば

それは違うと答えざるを得ないだろう。

 

では進化とはなにか?と問われれば、

それは「単独では生存できない複数の変異が奇跡的に共存した結果である」と私は考える。

だからこそ「奇跡的な確率」でしか起こっていないし、

同じ進化が二度と繰り返されないのだろうと思う。

同様の進化が別の場所で繰り返されることもあるだろうが、

それはあくまでも変異の起こりやすさや「複数」の度合いによる確率的なことで説明できると思う。

 

先日、西川先生が紹介した論文を例に考えてみよう。

その論文では、ヘビの胸骨(肋骨)が多い理由として、

ある遺伝子の単一の変異(それも1塩基置換!)に落ちるということを示したものである。

たしかにその遺伝子に変異を導入するだけでマウスの肋骨の数が増えたり減ったりする。

しかし、これだけが理由であればヘビ並みに肋骨の数の多いマウスが頻繁に出現するだろう。

だから、この変異は間違いなく生存できない変異でなければならない。

この変異を生存させるためには、

その変異がもたらす不利益を打ち消す別の変異が必要であることになる。

しかし、その「別の変異」も新たな不利益をもたらす可能性は低くないであろう。

なぜなら、現時点で見事に完成された遺伝子の関係性を保っているゲノムに

その関係性を崩す変異が導入されたのだから、

あらたな関係性を安定に構築するまでは,

その変異は安定に保たれないと考える方が自然だと思えるからである。

で、別の変異を安定に保つまた別の変異が要求され・・・・を繰り返すと、

行き着く先はマウスの変異ではなく単なる「ヘビ」ではなかろうか?

マウスゲノムに変異を加え続けてヘビゲノムを作っただけではないのか?というのが、

極論であることは重々承知の上での結論である。

これは逆からも同様に考えることができる。

マウスのノックアウト変異体にハエの相同遺伝子をノックインさせると正常に働いて

ノックアウトの表現型を回復させるという例が知られている。

これは、マウスの中でハエの遺伝子がはたらいていると考えるのではなく、

ハエ由来の遺伝子がマウスゲノムの関係性を構築できた、

すなわちハエの遺伝子が働いているのではなく、

あくまでもマウスの遺伝子として働いているというわけである。

これは考え方や表現方法の違いという表面的なものではなく思想の根本が異なっている。

要は、それだけ現存するゲノムというのが安定な関係性によって支えられているということで、

だからこそ、進化がそれほど簡単に起こり得るものではないし、

実際にそれほど頻繁に起こっていないということなのだろう。

 

個体発生から進化を語る際には、

個体発生の時間軸で進化の変異を説明する傾向にあるように感じる。

しかし、それがたとえフィンチのくちばしのように変わりやすいものであったとしても、

その変異はさほど容易に起こるものではないだろうと思う。