あらためて・かたちか情報か?

私は「砂時計」ではなく「壷」モデルを提唱している。

卵から卵への発生過程を砂時計風に見立てるのではなく、

咽頭胚から咽頭胚への発生過程を壷型に見立てて考えようということである。

 

この根拠は、発生学的見地からすれば卵(受精卵)の状態が

種によって大きく異なっているということである。

産み落とされた卵がすでにかたちの情報をたくさん持っているものもあれば、

受精後にゼロからかたちを作っていくものもある。

かたち作りの文脈で語る時に

これらすべてを同じスタートラインにたたせるのはおかしいと感じるわけだ。

 

発生過程には様々な段階がある。

母体の中で起こる卵形成もそのひとつである

(砂時計モデルの欠点はここが見落とされているところだろう)。

発生過程のそれぞれの段階において生きものの形は当然ながら異なっている。

だからどこを基準に置くかという議論になるのだ。

 

見方を変えよう。

いかなる発生過程のいかなる段階においてもゲノム自体は不変である。

ゲノム(ソフト)が働く時空間(ハード)は発生過程を通じて変わり続けている。

ここで意識しなければならないのは、

PCのハードに対するソフトの場合には、

ソフトは時間軸にそって働くに過ぎないわけだが、

発生過程では、そのソフト自身の情報によって新たに形づくられたハードの中で

ソフトが働くというメタ構造をとるということだろう。

 

脊椎動物全般の発生を考えた場合に、

咽頭胚に至る初期発生過程は基本的に卵のかたち情報に依存し、

咽頭胚以降の発生過程はゲノムの情報に依存すると大きくは考えて構わないと思う。

この際、母性効果としてはゲノム自体の情報は二次的だろうし、

咽頭胚以降の発生では主にゲノムの情報を元に新しいかたちが作られるわけで、

こう考えると、咽頭胚という段階において

ゲノム情報の取り扱われ方が転移するのではないか?と見ることもできそうに思う。

もちろん母性情報もまたゲノムに依って作られていることになる。

しかし、それは一次情報に時空間を与えるという意味であり、

構造主義生物学者の言うところの「構造」に等しいのだろう。

また、この「構造」を作る情報は、実はその卵が持つゲノムの情報ではない。

その母方のゲノム情報によって作られているので、

卵の情報は父母半分ずつの情報であり、

さらには何らかの変異を必ず持っているという点で、

母方のゲノムとは明らかに異なるものであろう。

これは、確率的に何らかの変異を受け親とは異なるゲノムとなったDNAが、

親のゲノムの情報によって作られた時空間の環境に適応できるかどうかが、

そのゲノムが生き残れるかどうかの第一段階のハードルとなることを意味する。

これは、たとえばそのゲノムが親が作った環境で生存できたとしても、

そのゲノムが持っている親とは違った変異が卵形成に影響した場合、

次世代のゲノムへ提供する時空間の場が、

その生物種(ゲノム)が経験したことのない環境となるわけで、

ここを乗り越えられるかどうかが新たな変異が残り得るかどうかの意味になる。

これは、これまで遺伝子の変異と環境との適応で説明してきたことを、

ゲノムと卵(あるいは細胞)との適応関係で見ていることと同じだろう。

ゲノム(遺伝子)も確率論的に変わりうるし卵(環境)も変化する。

これらの関係こそがゲノムにかかる最も大きい淘汰圧とできるように思う。