厳罰化?
亀岡無免許運転の判決が出て様々な意見が出ているようだ。
その中に次のようなものがあった。
「厳罰化は事故防止対策にはならない」である。
この趣旨は、厳罰化ではなくマナー教育の徹底などが効果的だとある。
それはそうなのかもしれない。
しかし、私は違う見方をする。
日本のような立法国家ではむかし持っていた権利が奪われていると言われることがある。
それは「復讐権」「仇討ち権」のようなものだそうだ。
この考え方に初めて触れた時にショックを受けた。
たしかにその通りだと思うが、そんな考えをしないままきたからだ。
法律の議論は私にはできない。
しかし、言いたいことはよくわかるし、かなり強く賛同もできる。
被害者が受けたのと同じ思いを加害者にさせたいという気持ちは
犯罪被害者に共通する思いではなかろうかと思うのだ。
それを禁じる以上は、事故を未然に防ぐという意味以上に
犯した罪に対して「庶民感情」を満足させる罰が与えられるべきだろうと思うのだ。
その意味で、被害者遺族の気持ちは痛いほど分かるような気がする。
何となく感情に割り切れないものが残るのが問題なのだろう。
ただ、これも突き詰めればどこで割り切ることができるのかという問題にもなる。
愛する人を殺された立場では、
たとえ犯人が死刑に処せられようと割り切ることなどできるはずもない。
ただ、たとえば明らかに人為的な問題で人の命が奪われた場合に、
でも、細かい法律論で誰も罪に問われないとしたら
それは絶対に割り切れるものではなかろう。
明石の歩道橋事故で警備責任者の副所長が何度も不起訴になり、
強制起訴後も無罪判決を受けたのなんかはまさに割り切れるものではない。
法律論で言えば刑に問えないのかもしれない。
しかし、明らかに人災で人が亡くなっているのだ。
誰かが責任を問われなければ納得できないだろう。
天変地異が原因なら諦めもつこうが、
やはりこちらが被ったマイナス分はどこかで埋められないと
感情的には納得できないのだろうと思う。
こういう考え方する私が特殊なのだろうか?