脊椎動物はいかにして出現したのか?(その1)
進化を見ているといくつか興味深い現象に目が止まります。まずは言わずと知れたカンブリア爆発、次に生き物の上陸、そして脊椎動物の誕生です。これらはあくまでも私の個人の興味であり、学問的には他にもっと重要なことがあるのかもしれません。「脊椎動物の誕生」に関しては私が哺乳類であるから興味があるのであって、他の生物の出現と比較して特に重要であるかどうかは疑問ですが。
では、脊椎動物と無脊椎動物では何が違うのでしょうか?いろいろありますが、私は「頭部構造」を有するか否かにあると感じます。だから、脊椎動物特有の頭部構造を形成するために必須である神経堤・プラコード・脊索前板は、それら自体が脊椎動物を定義する細胞とすら言われています。だから、すごく偏って考えれば、原索動物から脊椎動物が生じた時を考えるには、これら頭部を作るために必須の細胞群がいつ・どのように出現したかを考えれば良いとなります。
個体発生の言葉で、脊椎動物と原索動物の決定的な違いについて考えると、私は、その最も重要なものとして初期原腸胚での細胞数の莫大な増加を考えます。初期原腸胚とは、生き物の基本的体制を決める時期であり、三体軸(頭尾・背腹・左右)が決まり中胚葉が形成されて神経ができる時期です。初期原腸胚の細胞数は脊椎動物に系統的に一番近いと考えられているホヤでは110個であるのに対してゼブラフィッシュやツメガエルでは万を超えます。ここに意味があるのだろうと考える訳です。
一般に細胞数の少ない動物では、細胞が分裂するとき不均等になることがよくあります。すなわち細胞の中に最初から偏りを作っておいた上で分裂することにより、性質の異なるふたつの細胞を作る訳です。また、細胞外に分泌する因子によって細胞の分化を促す場合でも、刺激を受ける細胞は厳密に決まっているはずです。でなければ、少ない細胞数であるにもかかわらず、この個体では神経になる細胞は2個であり、違う個体では4個であるということが起こり得ますし、それはその後の発生を考えると致命的になりかねないからです。だから実際にホヤでは卵から成体に至る細胞の系譜(家系図のようなもの)を描くことが出来ます。それだけひとつひとつの細胞の運命が厳密に決められているのです。しかし、逆に数万個の細胞を持つ胚でひとつひとつの細胞の運命を厳密に決めることは出来ません、と言うかそれは不可能だし、そこにエネルギーをかけることは進化的に不利にはたらくことは間違いないでしょう。だから、脊椎動物では「胚誘導」とよばれる機構を獲得したと考えられます。すなわち、「大体この辺りにいる細胞たちを神経にする」という決定機構です。だから、個体によって神経の細胞数は一定ではなく、その程度の誤差はあとでいくらでも修正できるといった程度の発生機構です。このいい加減さを獲得したからこそ細胞数を爆発的に増大する変異に対応できたと考えられます。この「胚誘導」の仕組みを獲得できなければ、言い換えれば全ての細胞運命を決める機構しか持たなければ細胞数を爆発的に増加させられなかったのではないかってことを主張したい訳です。
では、なぜ初期原腸胚の細胞数が増えたことが脊椎動物の誕生に関わったのでしょう?ちょっと長くなりますのでそれはまた次の機会に。
脊椎動物の出現の大前提に「初期原腸胚における細胞数の膨大な増加」があり、それを可能にした機構の一つに「胚誘導」があるとのことですが、①細胞数が増加したために「胚誘導」というシステムが出来上がったのか、または②「胚誘導」を獲得したから細胞数が増加し得たのか、あるいは③細胞数の増大と胚誘導の獲得が相互作用しながら同時進行していったのか、またそもそも初期原腸胚において爆発的に細胞が増加したのは脊椎動物の素地があったからなのか、あるいは細胞数が増加し得たから脊椎動物になり得たのか…。
「爆発的な細胞増加(の端緒、きっかけ)」についてどうのようなイメージをもったらいいでしょうか?
生きものは全て偶然の産物なのですよ。偶然に出現し、自然淘汰を経て必然となるってことかな。
細胞数を制御する機構は存在するはずですよね。その機構に突然変異が導入されたら細胞数の制御が効かなくなり、結果として膨大な細胞数の胚になるはずです。そして、そのような変異を持つ個体は正常に発生できません。なぜなら、少ない細胞のひとつひとつの運命をしっかりと決めることによって成体を作り上げる訳ですから、その細胞数が爆発的に増えたら正しい形態形成が出来なくなるという訳です。しかし、そこでたまたま偶然に胚誘導という機構を獲得したらおそらく細胞数が増えることによって受けるデメリットを打ち消すことが出来る。胚誘導とは、ある細胞が隣り合う細胞に働きかけて分化を促す類いの発生機構で、その分子機構自体は脊椎動物でなくても有するのですが、問題は細胞数が少ない胚の場合には分化誘導を受ける細胞が厳密に決まっていなければならない。そうでなければ細胞系譜が定まらないから正常発生を行なえないことになります。しかし、細胞数が爆発的に増えた胚ではむしろひとつひとつの細胞運命を決められないから、「何となくこの辺りにいる細胞群」に分化誘導をかけるしかありません。かなりいい加減な決定をするしか無いのです。だから、細胞数の増加と、「いい加減な誘導」は同時に存在しなければその生きものは成立できない。キリンの首を伸ばすためには肺活量を上げ、血圧を上げ・・・など全ての変化がほぼ同時に起こらなければならないことを同じでどれが先に起こると言う問題でもないし、それが起こる理由にもメカニズムにも必然性は一切なくて構わない。ただ、偶然にそれらの変異がほぼ同時に起こった結果でなければその生物は現存しないというに過ぎない訳です。全ての変異はあくまでも偶然に生じたとしか言いようが無く、端緒やきっかけを考えることは不毛だろうと思います。
必然(存在)に至るプロセスは偶然の積み重ね。「爆発的な細胞数の増加」にしろ「胚誘導」にしろ、個体発生を実現するため、様々な変異に対してあらゆる可能性が試みられている映像が浮かんできました。そして個体発生を実現した生きものが「全ての変化がほぼ同時に起こること」を可能にするような「かたち」をそなえ、さらにその「かたち」自体が個体という枠組みの中で刻一刻と変化するがゆえに、生きものの本質を捉えるには「かたちの変化のかたち」を見ていかなければならないのかなと感じました。
ところで以前のコラムで「ゲノムをより直接的に扱うなら個体発生より系統発生を考慮しなければならないかもしれない」、「歴史的に見て発生とゲノムとの関係を言い始めたのはせいぜいこの20年ぐらいのこと」と書かれておられましたが、この内容をもう少し詳しく教えて頂けないでしょうか?(素人には難しすぎる内容なのかもしれませんが…。)