ゲノム論を考える

このブログをはじめた目的はゲノム論の確立でした。

こう書くと大層な話のようですが、

単に、ゲノム論をまとめようとして行き詰まり、

書いては消しを何度も繰り返して収拾がつかなくなったところから、

だったら、体系付けて書くのをやめて

思いついたことを日記風に書きなぐることから始めようと思っただけのことです。

 

で、たまにこれまでのブログをまとめて読みます。

世間話みたいな話題はともかくとして、

ゲノムを考える文章をまとめて読んでいると、

ゲノム論に限らずかたちの話も含めて

同じようなことをほんの少しずつ見方を変えながら書いているところがあります。

いわば、同じことを繰り返し書き連ねているって感じのところです。

おそらくその辺りは頭の中で確立してしまったような部分でしょう。

 

逆に、いつも行き止まるところがあります。

いつも行きどまるということは、どのような出発点からどのような論理を展開させても、

必ずそこにいたる、避けては通れない議論なのだろうと思います。

行きどまるのですから、そこには何か大きな誤解があるのか、

それとも論理の構築の仕方に問題があるのかだろうと思います。

行き詰まっているということは、そこを書けていないということなので、

読者の皆様はお気づきではないかも知れませんが、

書いた張本人は、その時の苦闘をまざまざと思い出さされるわけです。

 

で、この議論を文章ではなくチャート式(わたしは曼荼羅と呼びますが)に

いわゆる地図を描いてみることで

論理展開や議論同士の関係性が見えてきて、

重複する部分や行きどまる部分が全体の中でどういった位置づけなのか見えてくるのかも知れません。

とにかく大きな紙の上に文字と矢印を書きまくるという作業です。

出発点は全然違うのになぜ同じところに行き着くのか?などは、

このような地図にしたら一目瞭然かも知れません。

もしかしたら気付かないところで同じ論理展開をしているかもしれない、

同じ道に足を踏み入れているのかもしれないということです。

もっと穿ってみれば、脊椎動物の咽頭胚のように、

その論理展開こそがかたちを考える要点なのかもしれない。

実はもう何年も前からこういったことをしなければならないと思い続けているのですが

やり始めるとクタクタになるくらい頭を使う作業なので踏ん切りがつきません。

 

今はブログの中で言語とゲノムの類似性を並べてみようとしているのですが

ぼーっと考えていると何とかなりそうなことでも

具体的に並べてみると途端に理解不能になってしまう。

というか、言語のかたちとゲノムのかたちは、

その本質において共通であるとわたしは信じているのですが、

これを具体的に(無理矢理)比較するということはゲシュタルト崩壊につながる危険性もあって

そこをどう頭の中で扱ったら良いのかについて考え続けているってことです。

具体的に比較するということは視覚的に並べて比較する行為になりがちです。

視覚的な並びを意識するということは関係性の一端は見えるかも知れませんが

もっと重要な関係性を隠してしまうことにもなりかねません。

漠然と思っている時に見える類似性が具体的に並べてみると消失するということは、

ある種のゲシュタルト崩壊のようなことなのかも知れません。

かたちをかたちとして捉えることの難しさに悩んでいます。

ソシュールが沈黙した理由も、ハイデガーが存在と時間を完成できなかった理由も、

もしかしたらこの辺りにあるのかも知れません。

この壁を突き崩す何かが見えたとき現代哲学の大きな問題が一歩進のかな?

まあ、とにかくわたしごときが手を出せる問題ではなさそうですが、

まったく期待されていない自由さもありますから

この先ものんびりと考え続けてみましょう。