社会科の勉強なの?
地下鉄サリン事件で特別手配中の容疑者が所属する宗教団体を
三つの選択肢から選ばせる問題が中学校の試験で出され、
選択肢に「オウム真理教」と並べて、
二つの実在する新興宗教の宗教法人が挙がっていたことがわかり、
関係団体に謝罪したという記事が新聞に掲載されていた。
ここで個人的な疑問である。
たとえば「オウム真理教」との解答を中学生に求めるということは、
その名前を記憶することが社会科学習に重要であることを意味するのだろう。
そうでなければこの設問自体に意味はなくなるから。
しかし、はたして本当にそうなのか?
私見だが、オウム真理教の名称を正しく覚えることが義務教育過程で重要だと思えない。
オウム真理教が行なったといわれる数々の問題は、
それがオウム真理教でなくとも大きな問題であるはずである。
だからこそ、それが中学教育に必要かどうかという議論はさておき、
ことの本質はきわめて重要であることは否定しない。
しかし、それはオウム真理教だからということでは決してない。
特定の犯罪を考える場合に求められる正解が特定の犯罪者名であることに
違和感を覚えないのか?という疑問である。
一体どういった目的で教師はこのような問題を作成したのか聞いてみたいなあ。