生レバ考

ユッケに続き生レバも食べられなくなる。

なんだか由々しき事態だとすら思う。

政府による規制に対して反対の動きも見える。

 

さて、そこでいつもの持論だ。

政府がここまで決めなくてもいい、

政府がここまで決める必要はない、

まあそういう意見には原則的には賛成である。

今まで問題なく食べてきたものを食べられなくする規制なんて

まあ意味がないとも思う。

鈍ればでの食中毒を云々するなら

それ以外の食品にも規制をかけないとおかしいとも思う。

それは、こんにゃくゼリーに規制をかけるなら

餅にも規制をかけるべきだろうとする議論と同じことだ。

 

でも、ここで少し違った思考がよぎる。

この生レバ規制に全面的に反対しきれないのだ。

この辺りの感覚を言葉で書くのは難しい。

でも、あえて書いてみるとこういうことだろう。

例えば、私が若い頃に生レバやユッケを出す店は

それなりにちゃんとしている店だったように思う。

逆に言えばチェーン店で出す格安価格の生レバは

「ホンマに大丈夫か?」という警戒感があった。

それはいまの生ガキでも同じことがいえる。

でも、いつの間にか生レバやユッケは普通の食べ物になり、

格安を通り越して激安の価格で提供される時もある。

そして、それを我々消費者が当たり前だと認識するようになってしまった。

こんな値段で生肉が食えるはずはないって疑問視する感覚がなくなった。

そして、何でもありの環境が作られ、

結果として生で食べさせちゃいけない肉を生で提供するのが常態化した。

そういう風に見える。

 

規則ってそういったものだと思う。

たとえば学校の規則にしても何も先生方は好き好んで厳しくしたいと思っていないだろう。

で、生徒がガンバってある規制をなくしたとする。

その時には規制撤廃をありがたいと思ったことだろう。

でも、いつの間にかそれが当然だと思うようになる。

そして、その規制をはるかに越える行動を起こすこととなる。

具体的に書きづらいのだが、

たとえば今までは5の段階に規制があり、

それは厳しすぎると7まで規制を緩和するように働きかけ、

結果として7までの権利を獲得したとしよう。

そうなるともはや7までは当たり前のことになる。

だから、時に8や9にまで踏み出す輩が現れ始める。

それを自分たちで規制できないでいると、

結局は以前の5にまで権利は下げられる。

5だった時に8や9の実力行使をするものはいなかったはずなのだが、

7になった途端に8や9が現れる。

 

生肉の問題も、極論なのは理解しているが、同じような気がする。

生肉を出す店は工夫を凝らして生で食べても安全な料理を提供しているだろう。

それは科学的な裏付けというよりも経験による確信に近い何かだと思うが、

技術的な自信と経験による裏付けにより正しいものを提供してきたのだと思う。

しかし、我々消費者が安易に安いものを求め過ぎたことから、

それこそアルバイトの若い子に生肉を扱わせるようなこととなったんだと思う。

マニュアル主義も問題を大きくしたのかもしれない。

その結果として食中毒をだし、生肉の規制に及んだという感じではなかろうか?

 

もし、あり得ない価格で生肉を提供されたら普通なら疑うはずだ。

しかし、それを疑わず食べることを常態化したら、

それが認められたこととなるだろう。

その結果として食中毒が発生し人の命が失われたなら、

それを政府が規制するというのはあり得る話だと思う。

規制する側にしても大丈夫な店があるのは理解していると思う。

しかしそこに線引きができない以上は仕方がない。

まあ、そういう話なのではなかろうか?

で、私の感想だが、この手の規制の裏には我々の紀のゆるみが潜んでいるように思えてならないのだ。

間違っているのかな??