いれずみ

大阪市職員の入れ墨問題が話題になっている。

個人的には入れ墨は反対であり、

その理由も市長の説明とほぼ同じだ。

 

で、官房長官だったか、「茶髪も不愉快な人がいる」などと発言していた。

それは額面をとればその通りだと思う。

また、50年前に茶髪が許されたかと問われれば

それは「そんなことないやろなあ」とも思う。

しかし、それでも茶髪と入れ墨は議論の質が違うように思えてならない。

 

それは一般に認識されているところだとも思うのだ。

なにかといえば、例えば公衆浴場(銭湯など)で

入れ墨を入れた人の入浴を禁じているところが多いし、

ゴルフ場でも入れ墨を入れた人の入浴は断られるのが普通らしい。

それが人権蹂躙だと騒がれたことがあったとも思えないのだ。

 

弁護士が、表現の自由とか職業選択の自由とか言って、

大阪市(橋下市長)の考えを真っ向から否定する意見を述べていたが、

もし、表現の自由って主張なら、

先頭や公営プールなどでの「差別」をまず是正したらいかがだろうか?

 

公務員は何もかも我慢しなければならないとはまったく思わない。

しかし、公務員の問題は営利企業じゃなく、

客(市民)はここ以外には選べないのだ。

たとえば、どこかの接客を人用とする企業で

入れ墨をした社員に接客を受けたとしよう。

それが嫌ならその企業を二度と利用しなければ構わないわけだ。

それでも社会が入れ墨を許容すれば、その企業は生き残るだろうし、

社会が受け入れなければその会社は消えるだけのことだ。

その意味では表現の自由も職業選択の自由も存在して構わない。

しかし、おそらくは企業がそれを許さないだろう。

みすみすそんな一個人の「自由」に社運を賭けることはしないだろう。

ではこの企業を訴えるとでもいうのか?

私にはこの論法が理解できない。

 

むかしなら茶髪もロン毛もダメだったと思うが、

いまはある程度は市民権を得たようにも思う(それも程度ものだろうけど)。

だから百年後のことはわからない。

しかし、まだ現在は入れ墨を社会的には受け入れる環境にはない。

それに、茶髪やピアスと入れ墨の違いは、

少なくとも私くらいの年齢の人間には、

「イレズミ者」という言葉の存在からも明らかだろうと思う。

これは理屈で割り切れる問題ではないだろうし、

法律で争うような問題でもないと感じる。

そもそも入れ墨はアウトローの象徴だし、

それを承知で、あるいはそれに憧れて自ら入れ墨をしたはずだろう。

今の若者は違うと言われても、

入れ墨を入れている多くの人は単なるファッション感覚以上の

入れ墨の持つアウトロー感へのあこがれってのもあると思う。

それは否定しないが、それによって制約を受けることがあるのは仕方ないと思う。

何らかの事情で強制的に入れ墨を彫られた人の救済は行なうべきだ。

しかし、自らの責任の元で入れ墨を入れた人間は

あくまでも社会常識の範囲においてその代償は払う義務を負うと思う。

で、社会常識に関してだが、

これは自分勝手な推測でしかないが、

この件に関して市民にアンケートをとったら

おそらくは大多数が市長を支持するのではないだろうか。

ちょっと「権利」の主張に最近は辟易としているので

この手の話題に過敏になったような気もする。

小笠原も巨人に入るとき髭を剃ったし、

それが嫌なら巨人に行かなければいいってことでしょう。

それに、取り外しのきくタトゥーもあるらしいから

仮にファッションならそれにすればいいのにとも思う。

 

私の意見って偏見に満ちあふれているのでしょうか?