男性と男子
小学校の中学年だった頃、たぶん10歳前後だったと思いますが、
私は母親につれられてハイキングに行きました。
母親はそのころ保母さんをしていましたので
母の同僚の女性たちと一緒にです。
保育所のハイキングに私が厚かましく参加したという方が正しいでしょう。
今では保育士と名称も変わり男性の方も多くいらっしゃるのでしょうが、
その頃は保母と言われていたことからもご理解いただけるように
間違いなく女性だけの職業だったと思います。
で、そこに私が行ったわけです。
さて、お昼ご飯の時だったか、
私がふと放った言葉で笑いがおきましたが、
私はなにがおかしいのかまったくわからないまま
どうしようもなく恥ずかしさを隠して照れ笑いをするしかなかったのですが、
その私が口にしたことばというのは
「ここに男性はぼく一人しかおらへんやん」でした。
当たり前のことを当たり前に言ったつもりだったのですが、
大人の女性たちからしたら、小学生の子供が自分のことを「男性」と称したことに
なんとも言えない違和感を覚えたのでしょう。
この笑いは、今となっては理解できます。
で、この「男性」ですが、
辞書的な意味で男性・男子・男にそれほど違いがあるとは思えません。
ちなみにある辞書によると
「おとこ。男子。一般に成年の男子をいう」とありますから、
まあ、同義だと考えても間違ってはいないでしょう。
でも、やはり小学生が男性と語るのはおかしいと感じます。
この辺りに「意味」の本質があるのではないかと感じます。
日本語では一人称を「わたし」「わたくし」「おれ」など様々な言葉で表現しますが、
それらは決して同じではありませんよね。
文脈により、あるいは状況により使い分けています。
この使い分けのできない人は「無礼」と思われたり
「教養のない」「しつけられていない」と思われたりします。
これらも、その言葉のもつ微妙な表現が
辞書的な意味ではない「意味」として存在するのだろうと感じます。
別の見方をすれば、この微妙な意味というのは
おそらく辞書的に定義あるいは表現することが難しいということで、
ではなにがこれらの意味を決めているかと言えば、
その言葉が使われる文脈であり、環境であるということです。
だから、この言葉が生きて使われている状況におかれないと
人はこの言葉の持つ本当の意味を習得することができないのでしょう。
男子という言葉は子供にだけ使われそうですが、
でも「体操・男子、床運動」なんて言葉は大人にも使われます。
要するにそれらすべてをひっくるめて、
その言葉がどのように使われ、
だから、その言葉が使われた時にはどのような意味合いになるのかについて、
すべてをひっくるめて体で覚えなければならないということでしょうね。
男性という言葉が使われる状況や文脈、
男子という言葉が使われる状況や文脈はそれぞれに異なるということですし、
それらはおそらく文法的に規定できるものではないのでしょう。