ひらがな

このところ、昭和初期の文章を読むことが多くなっています。

そこで感じるのは、ひらがなの多いことです。

私は、これは私個人の問題かも知れませんが、

ある程度漢字が入っていないと文章が読みにくくなると思っていました。

ひらがなの連続によって「文字の羅列」感が強く、

単語と単語の境目が見えにくくなるということです。

だから「分かち書き」の意味も含めて漢字を入れる必要性を思っていたのです。

 

しかし、ちゃんとした日本語を書く限りにおいては

このようなところをそれほど考えなくても良いのではないかと思い至りました。

とは言うものの、やはりなかなか自分では漢字を排除する文章は書けません。

それほど、自分の作文能力に自信を持てないからです。

 

例えばこの文章をご覧いただきたい。

「平三郎の妻には八重がいちばんふさわしい、

どうしてそれがわからなかったかふしぎだ、これも『袴』のうちだろうか」

ここに使われている漢字は、文章の中で一つの意味を持っている「袴」を除けば

固有名詞のほかには「妻」だけである。

これで、非常に綺麗な日本語として十分に通じる(これも漢字だらけだなあ)。

同じ文章を極力漢字に変換して書いてみると、

「平三郎の妻には八重が一番相応しい、

どうしてそれが分からなかったか不思議だ、これも『袴』の内だろうか」

となり、格調は一気に低下するように思える。

 

ただし文章の書き方には流行というものがあって、

明治期にはやたらと漢字の多い、漢文調のものが主流であったように思う。

だから、どちらが良いという議論でないのはたしかだ。

あくまでも好みの問題なのだが、

いまの私にはひらがなを上手に用いる文章が良いように思う。

 

なのでこれからの課題はひらがなの使用を心がけることだが、

ここに書いた私の文章を見れば道はほど遠いことが自分でもよくわかる。

ただし、ワープロや携帯の普及で急に増えた(ように見える)漢字、

例えば「兎に角」とか「酷い」とか、はこれまでも使わないようにしている。

だって、もしも手書きをするとしてこんな漢字を書きますか???