二ヶ月後に記憶する
標題の台詞は、ケビン=メア氏が話していた言葉である。
沖縄県民は怠け者だ発言が出たあとにしばらく沈黙をしていたが
その時の事情を彼の立場から説明する時の中でこの表現がなされた。
本コラムとは関係ないのだが大まかないきさつを書いておくと、
その発言が漏れた経緯は日本のある新聞記事からである。
その発言が出たとされる場所は限られたアメリカ人大学生が集まる集会で
講師として招かれたメア氏が「ゴーヤも育てられない」と言ったという。
で、メア氏の反論はこうだ。
もちろんその場でそのような発言はしていない。
実は、その後この学生たちは日本を訪問し、
その日程の数日をこの記事を書いた記者の家に泊まっている。
その後帰国して、当初の発言から2ヶ月以上経って
記事の元となる文章(メア氏講演のメモ)を書いたということで、
これらの過程にメア氏は疑問を呈しているのだ。
で、標題の言葉だが、メア氏講演の二ヶ月後に内容を思い出してまとめたということを
あまりに不自然だし不確かだということなのだが、
この「記憶する」という言葉を用いているところが面白いと感じた。
「二ヶ月後に記憶する」って表現は日本人にとっては気持ち悪い感覚だろう。
メア氏は日本語で話をしたので英語の原文なるものは存在しないのだが、
おそらく彼の頭の中にはrememberという英語の感覚があったのではないだろうか?
実際にrememberという英語は非常に使いにくい。
これは「覚えている」と「思い出す」の両方の意味を持つからである。
という表現が間違っていることはもうご理解いただけるだろう。
二つの意味を併せ持つのではなく、
英語を話す人にとってはこれらの意味は一つなのである。
rememberという言葉が持つ感覚は一つであるとしか言えない。
そして、その英語のrememberの感覚を一つの日本語では表現できない。
だから、「覚えているよ」っていうのと「いま思い出した」って表現は
同じ文章で表されるのである。
この感覚は如何様にも想像はできるがどう考えるのがいいのか分からない。
Do you remember me?は「俺のこと覚えてる?」って意味だが、
I cannot remember his name.は「彼の名前を思い出せない」となる。
これら二つのrememberを英語を話す人々は同じ感覚として認識しているはずなのだ。
逆に言えば、日本人の感覚では同じように理解できない。
両者は全く違うものとして理解されるということだ。
だからRemember my promise.も「俺との約束を忘れるな!」と日本語にできるが、
「覚えていろよ!」でも「思い出せ!」でも文脈によって約し分けることはできるだろう。