赤裸々に
「私はよく読書をする少年でした!!」
なんていえるほどの本を読んでいたわけでは決してありませんが、
あまり読まなかったかと言えば、そんなこともありません。
平均がどの辺りにあるのか分かりませんが、
少年時代に周囲にいた友人の読書量だけから判断すれば、
まあ、普通よりは本を読む少年だったかも知れません。
で、まだまだ少年でしたから、
日常会話では基本は子供同士で話をすることばかりで、
大人と話をする機会と言えば親か先生くらいでしょう。
親も先生も、子供相手に大人の会話をすることは当然ながらありません。
だから、使う言葉もまあ子供の言葉になるのは当たり前です。
しかし、読書をしていると、それが明らかに子供向けに書かれたものでない限り、
文章には大人が日常的に使う会話が書かれています。
いや、実際に大人になってから気付いたのですが、
本の文章には、大人でも日常的には使わない言葉がよく使われていると思います。
で、いちいち辞書を引きながら読み進めれば良かったのですが、
わからない言葉でも全体の流れに影響しない場合には前後から意味を推測して
そのまま読み進めていました。
意味は、まあそれほど間違いではなく読めたと思いますし。
いつも書くことですが、
意味とはむしろこのように文章の中で成立するので、
このように新しい言葉を覚えるのは方法として間違えていないと思います。
さて、赤裸裸に申し上げますが、
この言葉を、たぶん大学に入って少し立つまでの間、
黙読の中では「あからら」と読んでいました。
もちろんこのような言葉を日常で使うことはありませんでしたから
恥をかかずにすんでいましたが、
でも、いまでもこの言葉を見ると「あからら」って音が脳の中をよぎります。
同様に、「一家言」は「いっかごん」だと信じていました。
ちょっと違う感じの間違いもあります。
それは例えば「手持ち無沙汰」って言葉なのですが、
あるとき冗談で「手持ち豚さん」と言うのが流行り、
その後、この言葉を普通に使おうとした時に
「あれ、ぶたさ?ぶさた???」って分からなくなりました。
相手の顔色を見ながらゆっくり「て・も・ち・ぶ・た・さ???」ってしか言えなくなりましたし、
考えに考えたあげく間違った選択をしたものでした。
まあ若い頃は良かったのですが、
いい大人になって日常の言葉を間違えるのって恥ずかしいですね。
ちなみに、昨日のブログのタイトルは「あんばい」です。
「そんなもん知っとるわい!!」という苦情は受け付けません。