大阪都構想とカンブリア爆発(余談)
橋下大阪府知事に関するアンケートの中の否定的な意見で、
「独裁的」というのがあった。
テレビ番組の絵で流される市民(府民)の発言だったので、
その意見を持つ府民がどれくらいの割合でいるのか分からない。
たった一人だけなのか、半数なのか、それとも大半なのかの情報はない。
ただ、この意見について考えさせられた。
テレビ番組ではこれらの一般市民からの意見を元に
パネリストの立ち位置のゲストがいろいろと質問をし、
橋下氏がそれらについて意見を述べていたのだが、
それらが「独裁制」を絶対悪という立場で話していたように感じられたことに
かなりの違和感を覚えたのだ。
違和感の原因はさまざまであるのでここでは議論でききれないが、
その根本に独裁制を私が悪いと思っていないことから生ずる違和感と、
テレビ番組のゲストや橋下氏はそれを悪だと共通認識していることへの違和感だろう。
まあ「独裁」という言葉自体に悪い意味があるので
「独裁制」を是とする人が少ないのは仕方ないのだが、
私が違和感を覚えたのは独裁制という制度の是非ではなく、
議論の底流に「民主主義が最も優れている」という前提が存在することに対して
なんだか大きな違和感を覚えたのだろうと思う。
何度も書いているが、
組織の運営(行政にしても政治にしても、会社経営にしても同じだろうが)にとって
信頼されうる有能な人が「独裁的」に執り行う方が民主的なやり方よりもはるかに優れていると思う。
ただし、独裁体制は歴史的に見て大きな問題を引き起こしてきたから
その反省も踏まえての次善の策として民主制度が優れているだけの話だろう。
だからこそ、有能であり、できれば高潔である人物さえそこにいれば
その人をリーダーとして選択し、全権限を与えることは決して悪くないと思う。
特に非常時にあたってはある種の独裁体制でなければことは進まないとすら思う。
だから、独裁という言葉を悪く捉えるのではなく、
むしろ積極的に独裁制を敷いて頑張るという意気込みで
橋下氏には己の信じる道を突き進んで頂きたい。
ただし、それはあくまでも非常時に限ることであり、
また、独裁制の弊害を引き起こさない為にも平時の制度としては馴染まないとも同時に思う。
などなど、3回にわたって長々と書くようなことでもないのですが、
橋下知事のひとことから延々と連想してしまいました。
ほんまに「かたち中毒」ですわ。