大阪都構想とカンブリア爆発(その2)

以下は昨日の続きである。

 

生物は変化を嫌う傾向があると思う。

それは、ある意味で当然だろう。

だから平時には保守的傾向が強くなる。

これが人間の思考や行動とも同じであると言えば穿ち過ぎだろうか??

 

さて、何度も言っているように、ゲノムとはさまざまな遺伝子の織りなす関係性である。

これが「かたち論」の根本的な考え方である。

ある関係性の中に置かれるのと別の関係性の中に置かれるのでは遺伝子の働きは異なる。

分子レベルで各論的に見た場合には大方の場合では同じかもしれないが

(「大方の場合」と書いたのはクリスタリンのような例があるからである)、

全体の中におけるその遺伝子の働きはまったく別物になりうる。

そして、そのように安定した関係性はそう簡単に形成できるものではない。

安定した関係が築けている中で遺伝子が変異を起こして新しい機能を持てば、

それまでの関係性が維持できなくなる。

だからこそ、変異の大半(というかほぼ全て)は有害なのである。

生物ゲノムを考えた場合には環境が変わらない限りそのままが一番いい。

よく例に上げられるマンチェスター工業地帯での蛾の翅の色や鎌形赤血球などは、

あくまでも非常時における緊急避難的な変化にすぎない。

その変異は特殊な環境においてのみ有利となるのであり、

「普通」の環境においてはそれまでのゲノムに勝つことはできない。

だから、進化の例としてあげられるもののほとんど全ては

有利な遺伝子の獲得による進化を指すのではなく、

いや、それはその通りなのだが、

進化の前提として環境が変化することが必須であることを示しているのではなかろうか。

進化と言って良いとは思わないが、

抗生物質耐性菌の発生も、抗生物質というそれまで存在しなかった環境で増えられるように

細菌の方が変化をしただけの話で(目的論的な意味ではない!)

環境が変わらなければそのような変化は残り得ない。

 

そして、今の日本は決して高度経済成長の時代ではない。

そういう時代には政治家はなにもせずお役人に任せて

それまでの制度を粛々と維持しておけばことは足りた。

だから、そのときに橋下氏のような政治家は必要はなかったのかもしれない。

しかし、時は戦乱の世、というのでもないが、

まあ、応仁の乱や戦国時代のように

それまでの制度では収拾できない時代であることはおそらく間違いはない。

もう何年も前にグローバル化という外来種による「西洋化」が進んできた。

「成果主義」という名の下に安定雇用が否定されてきている。

年功序列が亡くなり、終身雇用が消え去った今、

昔のようにコツコツと勤め上げれば年齢に応じて給料は上がり、

幾ばくかの退職金がもらえてそれを老後の資本とする時代は終わった。

しかし、環境は変わったのに保険や年金などの制度そのものは旧時代のままである。

これがカンブリア爆発に似ていると感じるのだ。

だからこそ、橋下氏の唱える大阪都構想のような

「制度」の「改革」が要求されるのは言わば当然ということであろう。

「制度改革」とひとことで言ってしまうと、

何か今までと同様な「微調整」くらいの意味しかもたれないが、

「制度」「体制」(私は「かたち」というのだが)は生物で言えばゲノムの本質である。

それに手を付けて新しい生物種になるくらいのことをしなければならないのだろう。

問題は、大阪都構想それ自体が新しい環境に適応できる体制かどうかということであり、

それに関しては十分に議論されなくてはならないし、

その是非こそを府民が判断しなければならないことなのだろう。

私たちはもしかしたら民主党にもこのような改革を望んだのかもしれない。

しかし、やはり強固にでき上がった関係性を打ち壊すことは

カンブリア紀の環境変化のように

かなりの外圧がなければ無理なのかもしれない。