清水の舞台
清水の舞台から飛び降りるような覚悟をこれまでにしたことがあるかな?
自分に問いかけてみると、やすやすと「はい」とは言い難い。
あの舞台から身を投げるような覚悟をすることって、
人生の中で一度あるかないかくらいに決死の覚悟ではないだろうか?
足にひもをくくり付けたバンジージャンプでも
あそこから飛ぶ勇気はなかなかでないような気がする。
さて、清水の舞台から飛び降りるって言葉の意味は、
実は上に書いたようなものではないってご存知でしょうか?
正確には覚えていないのですが記憶をたよりに少し書いてみます。
ずっと以前(たしか平安時代くらい?)には、
清水のあった場所は東山の中であり、舞台から下は深い谷底になっていたそうです。
そして、そこに飛び降りた(?)のは生を全うした人、すなわち死人だったそうなのです。
要するに、町中で死んだ大衆をあそこから投げ落としていたということで、
まさに「清水の舞台から飛び降りる」覚悟とは、「死ぬ」覚悟らしいのです。
あいまいな記憶ながら「死者を葬る」というこの逸話は正しいとは思うのですが、
「飛び降りる」の格言がいつできたのか分かりませんので、
両者を結びつけていいものかどうか分かりませんが、
実際に行ってみると格言で大層に言われているほどには高くもないし、
どうせなら「東尋坊から」くらいにしている方が
言葉に迫力も出てくるという気はしていましたので、
なんとなく「飛び降りる覚悟」よりは「死ぬ覚悟」の方に
変な納得をしてしまったのでした。
ひとつの言葉でも奥は深いですね。
「奈良の大仏」も「清水の舞台」くらいに定着してもらいたいものです。